ライアーで歌いましょう、私流温故知新

2018年3月21日

日本の歌にライアーの伴奏をつけ、それでライアーの教則本的な要素を盛り込んで作ったのが、「ライアーで歌いましょう」です。ライアーのパートは伴奏という体裁を取っていますが、独立して演奏していただける曲だと自負しています。

 

伴奏の面白さはシューベルトの歌曲の伴奏から学びました。シューベルトは六百以上の歌を作りました。そのことから学校の教科書などではシューベルトを歌曲の王と呼ぶわけです。ところがほとんどが歌の旋律の美しさを指していて伴奏には言及していないものです。シューベルトの歌は歌の旋律もさることながら、伴奏に工夫が凝らされているのです。そのことを多くの人に知ってもらいたいと思っていますから、このブログでこれからも取り上げてゆきたいと思っています。

彼の伴奏の芸術性についてはほとんど触れられることがありませんが、伴奏が彼ほど自由自在に作れた作曲家はいません。豊かな想像力で素晴らして伴奏を生み出せたことが膨大な歌を作る支えだったということも見直されて良いところです。またシューベルトは歌のメロディーと伴奏と一緒に作ることが出た稀有な作曲家で、しかもそうして作られた歌と伴奏は渾然一体となっているのです。

そんな伴奏をいつかライアーでできたらと夢のようなことを考えて作り始めた時に、伴奏を出版して見てはとお話しがあったのです。そして話が進むうちに、伴奏で教則本をと言う、新発見が生まれたのです。

もう一人伴奏を作っている時に念頭にあった作曲家はフランスのフランソワ・クープラン(1668-1733)でした。彼の四巻からなるチェンバロの曲は私には魔法の玉手箱のようなもので、そこから音楽の秘密をたくさん学びました。クープランについて書かれたものはフランス語で少々と、その中の一つが英訳されているものがあるだけですが、彼の魅力は音楽を聞けば一目瞭然で、特に装飾音の使い方は多くの人を魅了します。彼の魔法のような装飾音は他の作曲家に見られないある境地にあるもので、一度この装飾音に魅せられてしまうともうそこから抜け出せない不思議な世界です。クープランの装飾音は、一般に言われるように音を装飾するというのではなく、そこに彼の音楽の命が宿っていて、装飾音のつながりから言葉が歌われているような絶妙なメロディーが生まれてくるのです。

余談になりますが、先日バロック時代のチェロで弾かれたバッハの無伴奏チェロ組曲を聞いた折に、今まで耳にしなかった装飾音がふんだんに散りばめられれていて驚きました。今までは装飾音はどちらかといえば邪魔者扱いされていたので、装飾音がつけられたバッハのメロディーはとても軽やかで、新鮮だったので、新しい感性で取り組んでいる人たちの出現を密かに喜んでいました。

 

さて、ライアーの伴奏に話を戻しましょう。「海」の伴奏が一番にできました。その時の喜びは忘れられません。波のイメージをどの様にしたら作れるのかと悶々としていたところに、オクターブの波が押し寄せて来ました。何度も弾いているうちに、歌の方が却って伴奏的だとさえ思ったほどです。その後続いて出来た「ふるさと」もよく似ていて、伴奏が独自の世界を作っています。「月の砂漠」の伴奏をラクダの鈴の音からヒントを得て作ったのですが、その時はクープランの装飾音が念頭にあって、ライアーではチェバロのように軽く装飾音をかけられませんが、装飾音的な伴奏が作れたらと挑戦してみました。

 

伴奏というと、芝居に見られる主役と脇役のように分けて、脇役的と受け取る方もいらっしゃると思います。私は別の考えです。

伴奏に新しい光をあてるには、自分を人間関係の中で改めて見直す必要があります。いままでは自分というものは自分を主張をすることで存在を認めさせる方法が社会的にまかり通っていました。しかし自分というものが自分を主張しているだけでは自分に満足できないと言う意識が生まれているのです。新しい意識です。自分と相手とが関わり合うことで、自分の存在を確認するようになっているのです。

伴奏はそういった新しい意識のもとで捉え直されて良いものです。

実際にピアノを弾く人を見渡して見ても、伴奏が出来る人は少なく、独奏曲をバリバリ弾いている人に伴奏をお願いすると断られるケースはまれでは無いのです。伴奏は、ソロのピアニストに成れなかった人がするものなどではなく(今日でもまだそのように考えている人は多いですが)、伴奏にはソロとは違った、ソロが弾けるだけでは十分でない音楽感性が求められているということを知っていただきたいのです。相手を聴く、相手を慮るという感性です。これは社会意識としてはまだ未来形になるものかもしれませんが、今日すでにそこに気づいて活動している演奏家たちも現れて来ています。

伴奏がしっかり認められ、音楽の世界で花開く時代がこれからやってくるのかと思うと、なんだかワクワクします。

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