私のライアー秘伝、病気と健康
今日の一般的な考え方からすると、病気を治すと健康になるということです。
そして健康になるためにいろいろな治療法があり、いろいろな薬があり、いろいろなセラピーがあります。
もう一つ今日の一般的な考え方は、病気はビールスで感染してなるという考えです。
しかしビールスだけで病気が説明できないことがほとんどです。昔は麻疹(はしか)などはワクチンがなくて子どもはたいていやったものです。学校で麻疹が流行ると、学級閉鎖になったり、時には学校閉鎖になりました。
しかしよく見てみると、そんな麻疹のビールスが猛威をふるっている中でも麻疹にならない子どもはいたのです。インフルエンザも同じです。猛威をふるう中でならない人がいるのです。
ということはビールスだけの問題ではないということになります。
ではなぜ病気になるのでしょうか。
シュタイナーは病気には必ず霊的な意味があると考えています。
つまり病気はその人が必要としているからなるのです。こう言いきってしまうともともこもないところもありますが、病気になることは今生での修行だと考えるのです。
この考え方はあまり無理押しすると、人を傷つけるものになります。人に向かって言うものではないと思います。
そしてその病気を治すためにいろいろなことをやったことが次の人生で生かされるのです。
健康になるのは次の人生でということになります。
いろいろな治療法、薬、セラピーが今日あふれています。沢山病気の人がいるからです。その病気を治療するためにいろいろな方法が考案されています。
でも治療から健康へと言う考えは保留しなければなりません。
何故保留かと言うと、そこがつながらないからです。
何故つながらないかと言うと、病気・治療と言うのは一つのサイクルですが、健康は別のサイクルだからです。
病気から健康に行くには何かが起こらなければならないのです。意識的にです。心の中でです。気持ちの持ち方です。
病気でも健康と言えるのです。私は再生不良性貧血という病気もちの病人ですが、健康です。矛盾していると思われる方がほとんどだと思いますが、私は健康です。しつこいようですが病人ですが健康です。
それは自分で「わたしは健康です」と自分に言ったからです。だから健康です。
健康体かと言うと、多いに問題はあります。そのためにいろいろなことをしています。大きな声では言いませんが、お医者さんに頼らずに自分の考えたセラピーを自分に施しています。時にうまく行かないこともあり、体が自分を支え切れないこともあります。お医者さんに掛っていた時も同じ様なものでしたからあまり気にしてはいません。でも私は体は弱いですが健康です。
治療が過大に評価されている様な気がしてなりません。治療と言うのは他でもない、病気と闘うための道具なのです。でも現代は治療が過大に評価されていて、時には治療が健康の肩代わりをしている様な気がします。治療法、薬、セラピーはあくまでも道具です。病気と自分とを向かい合わせにするための道具です。病気を克服するのは道具ではなく本人です。本人の気持ちです。
治す、治るということが病気の時にはとてももてはやされるものですが、治す、治るというのはどういうことを言っているかと問いなおすと、案外曖昧なものです。その境界線はある様でないのです。
唐突ですが、痛み止めの薬の話しをしたいと思います。それを飲むと痛みが取れます。それで治ったかと言うとそんなことでは痛みの原因は治りません。ただ一時的に痛みを感じはなくなります。それはそれで大きな働きです。痛みがひどくて寝られない時には痛み止めを飲むことで寝られる様になり、寝たことで体力が回復します。それで痛みが取れることはないかもしれませんが、痛みで苦しまずに、しかも寝たことで体力がつきますから、ゆっくりと治療に取り掛かれるようになります。そして痛みの原因だった神経の炎症が無くなるかもしれません。
たかが痛み止めとは言わないでください。小さな道具ですが、大きな働きをしているものです。
治療のしすぎで病気になる人もいます。治療という道具を過信したためです。
健康の基準はないのです。ですから「あなたは健康ですか」と聞かれると返事に困ります。「特に病気をしているわけではないので健康です」と言う答は案外多いものです。でもそれは違います。病気をしていても健康でいられるからです。また病気がなくても健康と言えない人もいます。健康と病気の関係は一筋縄では行かないものです。
是非自分に向かって「あなたは健康です」と言ってあげてください。体は喜びます。それだけで何かが変わります。
でも病気の人はしっかりと病気と闘ってください。それはそれで大切な修行です。肺病と戦った人は次の人生では強い肺を持つようになります、と読んだことがあります。それを健康といえば次の人生で健康になるといえると思います。
しかし本当の健康は自分に向かって「あなたは健康です」というところから始まるのです。
そうすることで自分に出会えるきっかけがつかめるからです。自分に出会うというのは自分を研究したりしてできるものではなく、自分に積極的に向かった時にはじめて自分に出会えるものです。
私はライアーを弾く時、聞く人が自分と出会える様にと祈って弾きます。
そうすることでみんなに健康になってほしいからです。
自分に出会うためには衝動的な勢いに任せていては駄目で、深い安らぎが必要です。
その安らぎの中からじわじわと勇気が湧いてきます。
そのために、私はライアーで聞き手に安らぎをもたらす様に弾いているのです。