セラピーの彼方

2012年7月26日

筋ジストロフィーの母親を持った男の子はやはり筋ジストロフィーでした。

母親は少年がまた幼いころになくなりました。その後少年は幾つかの施設を転々とし、私のお付き合いのある施設に辿り着きます。その時少年は14歳になっていました。

当時施設に来た時の体重は20キロ足らずで、もう1キロたりとも体重が減ることは許されていませんでした。

体はやせ細り、いつも足のつま先まで冷えています。

それまで預けられていた施設ではほとんど勉強らしいことはしていなかった様で、字は書くことも読むこともできません。

 

その少年のクラスが劇をすることになりました。もちろん彼の登場する場面はありませんでした。

しかし授業で行われる劇ですから毎日劇の稽古には欠かさず出ていました。

ところが本番になって、主役の少年が病気になり、突如代役が必要になって、そこで初めてこの少年に役が回って来ました。王様の役です。

驚いたことに彼はセリフを全て暗記していて、しかも所作もしっかりと頭の中にあったのです。当日の舞台は大成功でした。

 

この少年はある時必要にかられて宇宙飛行士の食事が与えられていましたが、この施設に来てからはなんでも彼の好きなものは食べる様になっていました。そしてしばらくして体重が25キロまで増えたのです。体重が増えないことはとても大きな悩みでした。それと並行して、ゆっくりと少年は生きることを喜びと感じ始めたのです。それまでは死ぬことをいつも言葉にしていました。そしてキリストの磔の絵にじっと見入っていたのです。

お世話をする人が少年の死への思いがどれほどのものかを知らずに磔の絵に見入っている所を邪魔したり、茶化したりすると、突然暴力をふるうこともしばしばあったのです。

 

少年にはありとあらゆるセラピーが試されました。どんなセラピーも彼を支える力になりませんでした。冷たい体はそのまま冷たい体のままでした。

 

誕生日にプレゼントにもらった本の中から、偶然にエジプトの写真が目に入ります。その時から少年の思いはただ一つ、エジプトに行くことです。しかしそんなお金はどこにもありません。やっとのことで施設が集めたお金で、ベルリンにあるエジプト博物館へ行くことになりました。

いよいよその日です。博物館に着くと、今まで車椅子に乗っていた少年が突然立ち上がったのです。そしてなんと誰の手も借りずに一人でどんどんと博物館の中を歩いてゆきます。まるで何かに呼ばれているかの様にです。

結構長い道のりを歩いて少年は小さな金製の王女様の像の前に辿り着きます。

少年はその前に二時間以上も立ちつくしていました。

途中で少年のお世話をする人が彼の足をマッサージしようとした時です。なんと彼の足は温かいのです。手を触ると手も暖かいのです。今までどんな治療、セラピーも彼の体を温めることはありませんでした。

その時以来、少年の体は、時々体調が悪く冷たくなることはあっても、いつも温かいのです。

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