シューベルトのピアノ三重奏、二番、変ホ長調、作品100、D929

2020年12月12日

今日はぜひ皆さんにも聞いていただきたい音楽があるので書いています。表題になっている作品です。難しい音楽論はやめて、いい演奏があるのでそれを紹介します。

Schubert, trio, No.2, Op100,Andante con moto|Ambrioise Aubrum, Maelle Vilbert, Julien Hanck

YouTubeで見つけたフランスの若手の三人によるこの演奏に、私は釘付けになりました。この動画で聞けるのは第二楽章だけですが、この三人の若い演奏者の演奏に耳を傾けてみてください。

 

音楽について書くのは案外難しいもので、このブロクはきっとまとまりの無い、本当の意味での独り言(ブログ)になっているかも知れません。

 

いい演奏とかよくない演奏とかいいますが、何んのことを言っているのでしょうか。大抵の場合、演奏技術というのはそこでは問題外のことがほとんどです。

簡単にいうといい演奏とは溶けるような演奏だということです。溶けるというのは作品が演奏者と一つになる、一体化するということです。前回、前々回のブロクでは意志のことを取り上げました。意志の大きな働きは出会うということだと書きましたが、音楽としっかりと出会っているのがいい演奏だということです。この演奏を聞いているときにこの三人の演奏は意志というテーマにぴったりなような気がしたのも、この演奏を取り上げた理由です。

特にチェロの音は久しぶりに角のない丸い音で、チェロが語り、チェロが歌います。私が驚いたのは、演奏者がしっかりとしたイメージでこの音楽に向かっていることでした。まるでイメージそのものが演奏しているかのようです。イメージなしでは丸みを帯びた豊かな音は生まれないのです。クラシック音楽は楽譜を用います。ところが楽譜を演奏するだけだと音は硬くなります。音楽をイメージすると音が丸くなり説得力が深くなります。この違いは決定的です。いい演奏を聞いていると脱力してゆったりしてきますが、聞き手も演奏者と共にイメージの中で音と共感し、同化してしまうからだと思います。音符で音楽を教えられてしまった私たちにはとても遠い世界です。

また演奏がパフォーマンスになってしまうと、音楽と演奏者の間に必ず距離が生まれるようです。イメージからの仕事ではなく、あたかも音と一つになっていますという見せかけだからです。不自然なもので聞いていて疲れます。

音楽会では生演奏というオーラに包まれてしまいます。独特の雰囲気です。そのオーラの中で音楽と一つになりますから、いい演奏かどうか判断しかねることが多いです。ようやく家路に着く頃に、今日はいい音楽会だったとか、今日のはまあまあだったという感想が出てきます。あるいは一晩寝て次の朝、思い出して喜んでいる演奏会があったりします。音楽会というのは、難しいことを考えずに演奏を楽しんでくればいいのだと言えるかも知れません。

 

フランスの若手の三人の演奏はすでに何十回、いや百回位聞いていますがまだ飽きていません。それがイメージから生まれた音楽であることの証だと思っています。ゆったりと心に染み込んでくる含みのある音を聞いていると、飽きるとは逆で、また聞きたいというふうになります。

 

 

 

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