ハイドンの不思議
クラシック音楽の中でハイドンは「パパハイドン」と呼ばれ、楽天的、能天気などと言われています。ウィーン生まれ、ウィーン育ち、そしてウィーンで亡くなった生粋のウィーンの作曲家です。
私たちがイメージする芸術家タイプというイメージより職人に近いものを感じます。交響曲が百以上もあります。モーツァルトの倍以上、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーの十倍以上の数ですから、大量に作曲されたような印象を持ってしまいます。さらに音楽は非常に清楚でシンプルなので、ベートーヴェンに代表されるような音楽における深刻さとは全く無縁の作曲家です。深刻さは十九世紀のお家芸ですから、のびのびとした十八世紀を生きたハイドンには無縁の空気だったわけです。ハイドンのもつ調和も特筆すべきです。ドイツの文豪ゲーテは「理想的に調和した会話」とハイドンを褒め称えています。
私はシンプルを大切なものに数えていますから高く評価しているので、シンプルの何が悪いと言い返したくなります。ドイツの指揮者フルトヴェングラーは、ハイドンの清楚なシンプルさを「恐ろしいほどシンブルだ」といって高く評価していたということです。指揮の世界の頂を制した人の言葉ですから深みがあります。
私は若い頃にモーツァルトの音楽に出会い、吸い込まれるようにのめり込んでモーツァルトばかり聞いていた時期があります。その時にハイドンの音楽とも出会っていたのですが、ハイドンにのめり込むようなことはありませんでした。血気盛んなころにハイドンは物足りなかったのだと思います。むしろベートーヴェンの方をモーツァルトの合間に聞いて興奮していました。
若きモーツァルトは親子ほど歳の違うハイドンを師と仰ぎ尊敬していたことはよく知られています。六曲からなる弦楽四重奏をハイドンに献呈し、ハイドンからも絶賛されています。今でもその六曲はハイドンセットと呼ばれ、モーツァルトの弦楽四重奏の中で演奏される機会が多いものです。モーツァルトはハイドンの影響を受けていますから、随所に共通するところがあるのですが、作曲技法的なもののようです。私にはモーツァルトはベートーヴェンの音楽との共通性の方に興味があります。モーツァルトはベートーヴェンの生みの親だと思っていますから、音楽理念はモーツァルトとベートーヴェンを並べてもいいと考えています。
モーツァルトに出会い。ベートーヴェンをつまみ食い、その後シューベルトの音楽の中を思う存分泳ぎました。マーラーの音楽に興奮した時期もありました。ヘンデルの壮大な音作りに魅了されたりしながら、年齢が増すとだんだんハイドンに近づいているのか、ハイドンが近づいてくるのかわかりませんが、ハイドンをよく聞くようになったのです。聞いているとホッとして、難しいことを考えずにのんびりとハイドンの音楽に耳を傾けるのです。実に清々しい音楽で、またすぐに聞きたくなるところがあります。「自分でもこのくらいのものなら作曲できるのでは」と思うのは間違いです。ハイドンのシンプルさは「恐ろしいシンプルさ」です。一見簡単そうに聞こえるのですが、素人芸とは雲泥の差のあるもので、まさに高貴な職人芸と呼びたくなるほどの洗練さがあります。
私が今までリリースした六枚のCDの中にハイドンの曲は入っていません。もちろん嫌いだかではないことはここまで読んでいただけたのでお分かりだと思います。だんだん好きになっているのでここらで是非ハイドンの曲でもと考え、好きな曲を聴きながらライアーで演奏したらどうなるかなぁーと思いを巡らせるのですが、「これはライアーに合う」というインパクトは今のところないのです。シンブルだからライアーと相性がいいのかと思いきや、案外ライアーとは反りが悪いようです。
ライアーとハイドンを重ね合わせながら、これからもいろいろと思いをめぐらせて行きたいと思っています。もしかしたら意外な発見があるかも知れないと期待しながらです。何とか編曲してハイドンをライアーで弾いてみるのですが、まだまだうまくいきません。つまらないのです。もちろん編曲を工夫すれば違うのかも知れませんが、今のところはハイドンをライアーで弾くことは半ば諦めています。しかしこのシンプル同士、なぜ合わないのでしょう。
ハイドンは西洋音楽にいや顔うにも付き纏っている自己主張がありません。そこをゲーテは調和という言い方で見抜いていたのだと思います。この気質はシューベルトに引き継がれていったように感じます。シューベルトも生粋のウィーン人でしたから、個性というよりはウィーン気質なのかも知れません。いずれにしろ珍しく自己主張がない音楽で、空気の中に消えていくようです。
何の根拠もないのですが、ハイドンのシンプルさと日本人のシンプル好みは随分違うものですが、シンプルを好むことに関しては共通しているように思えてならないのです。しかも自己主張がないところもハイドンと日本人には共通性を感じます。日本の音楽家たちが西洋の人を模倣するのではなく、日本人として日本人の感性でたっぷりとハイドンを演奏したら、ハイドンの聞こえざる宝が聞こえてくるのではないかなんて考えるこの頃です。
お勧めの作品
チェロ協奏曲の二番ニ長調です。
この曲はビロードのようなしっとりした曲で、どこにも張ったりじみたものや、自己主張の角がなく、ハイドンのいいところがいっぱい聞ける一品です。
エマヌエル・フォイアマンの演奏がお勧めですが。同じくらいお勧めはジャクリーヌ・デュ・プレのチェロとバルビローニの指揮するロンドン交響楽団の演奏です。今年の八月にYouTubeにアップされていました。YouTubeで聞ける最高の演奏です。他の演奏からは残念ながらハイドンが聞こえてこないのです。