歌と器楽曲とのちがい:将来の音楽は?

2021年1月15日

クラシックの音楽の世界では、特にオーケストラから見た時、歌は嫌われ者なんです。歌曲の夕べには人が集まらないのです。クラシック音楽の世界に深入りしていない人には驚きでしょうが、クラシック音楽から歌が消え、主流は器楽曲だと言って間違い無いのです。

クラシック以外のジャンル、ポピュラー音楽、ロック、ポップ、昔のフォークソング、シャンソン、カンツォーネ、ファド、歌謡曲、演歌を見ると違います。こちらでは、全く逆に歌が主流です。歌がないなんて考えられないのです。

ドイツの教会でもよくゴスペルソングが歌われています。パイプオルガンでのミサの時はやっと十人くらいなのに、ゴスペルでやる時には教会に人が入れないほど集まります。どう説明したらいいのでしょう。

ジャズの世界はユニークです。歌もありますが、楽器だけで演奏することも随分あります。ピアノソロ、ピアノトリオ、プレイジャズ、デキシー、ビックバンドなどです。ジャズとクラシック音楽は、驚かれるかもしれませんが、とても近いものなのです。ジャズの発生はアフリカからの人たちの音楽ということになっています。それはそれで確かなのですがジャズの音楽的発展はクラシック音楽が当時随分関わっていたのです。ヘンデルの和音、グリークの和声というものが影響してジャズに音楽的多彩性が生まれました。そういうことから器楽曲のジャズが栄えたのかもしれません。

オーケストラの歌嫌いに話を戻しましょう。声という有機的なものと楽器という純粋な道具の間には亀裂があるのでしょう。まず声は楽器よりも音程がとりにくいため、歌は不純な音楽に聞こえるらしいのです。また歌い手の呼吸が作るリズムと楽器からのリズムの違いもあるようです。とにかく、器楽曲に比べて歌物は不純な二級品扱いなのです。

もしかすると産業革命以降の機械中心への移行が音楽にも影響しているのかもしれません。手工業から機械が物を作るようになったことです。音楽史的に見れば、クラシック音楽の中で器楽曲が主流を占めのはバッハ以降のようです。そういう意味でバッハは近代音楽の父なのでしょう。現在でもバッハは最高の音楽家として君臨しています。

クラシック音楽は教養人、インテリの人たちの音楽で(もしかしたらハイソサエティーと言い換えてもいいです)、歌に象徴されるポピュラー音楽は庶民の音楽という図式が結構根強く生きていると思います。今のクラシック音楽は政治家たちの発言があって、国や地方自治体の膨大なる援助で賄われているのが現状です。もし若い人たちに、「クラシック音楽のために今まで通りに莫大な補助金を続けることに賛成か反対か」と投票させたら、そして、その結果が実際に政治に生かされたならば、コンサートホールもオーケストラも、妄想ではなく、確実に近い将来消えて無くなってしまうかもしれません。

ヨーロッパの音楽の始まりは、言葉、歌、踊りという人間の生活に密着したところからでした。それが今日のヨーロッパを中心にしたクラシック音楽へと発展したのです。今度は器楽曲という観念的になった音楽をもう一度日常に返す流れが生まることで変革が起こるかもしれないと考えます。

 

コメントをどうぞ