成長と発展

2021年2月4日

成長と発展はよく似ている言葉なので混同していることがあります。

経済的には成長も発展も、少し意味合いが異なりますが、両方言えます。

発展途上国はいいですが成長途上国では意味が通じません。

成長障害と発展障害とは全然違う方向を向いています。

人類は今日ある姿に発展してきたので、今日ある姿に成長したのではないのです。

こうしてみると成長というのは精神性を含んだ変化で、発展というのは数値で表記される変化だということになりそうです。

 

成長と発展とに共通しているのは状態の変化です。ところが成長による変化には以前の状態、今の状態、以降の状態という流れがあってもそれぞれの状態は等価値ですが、発展は以前より良くなった、悪くなったと比較することで優劣をつけます。

私たちが成長について語っているところに発展的な考え方が混同しててくることがあります。つまり成長を数値で表す時成長を語っているのではなく発展のことが頭にあるのです。

私が治療教育の現場にいる時に、経済的にバックアップしてくれている団体に毎年報告書を書いていました。そこで重要なのは数字です。例えば歩行障害を持っているお子さんの場合、どんなセラピーを何時間受けたことで歩行能力がどれほど改善されたかということを、具体的に、全て数字で示さなければならないのです。書いている時に、これは子どもの成長について書いているのではなく、何かの機械の説明をしているように錯覚したことがあります。

発展思想は唯物的な観点から生まれています。社会は昔原始社会で、だんだんと発展して、資本主義社会になり、最後は社会主義になってゆくというふうに、極めて合理的に説明がつくのです。これですっかり説明できたと思い込んでしまう傾向は、頭でものを考えて整理するのが好きな人にとても多いのには驚きます。現実から乖離して、理念というか机上の空論で物事を片付けるわけですから、現実は改善されないということになります。原始社会と今日の社会ではどちらが住みやすいのかという問いに対して簡単に答えられるのは発展思想です。

 

人間は幼児期、学童期、思春期と変化してゆきます。成長しているので、発展しているのではないということです。

人間の体には五臓六腑があります。それぞれの臓器に臓腑にそれぞれの働きがあるので、肺の方が肝臓より大事だとか、脾臓は腸に比べれば大した臓器では無いなどというのはおかしいのです。心臓が停止すれば死んでしまいますが、肺が動かなくなったって死んでしまいます。長が詰まってしまっても死んでしまいます。

幼児期は思春期に比べたら大したことのない成長段階だという人がいたら、成長を履き違えている人です。成人して、だんだん歳をとってゆくと、社会的な貢献度は減ってゆきます。だから価値がないのだというのは発展思想、唯物的な考えから来る、人間無視の考えです。人間というのはそれぞれの成長段階にいる時それぞれに大切な時期を生きているのです。

 

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