光と影、最高の悪役は善人でした。
光と影を持つのは人間のサガです。100%善人という光だけの人はいません。同じように全くの悪人という真っ暗な人もいません。探せばいるかもしれませんということではなく、これは断言出来ます。私たちはみんな混ざり物なのです。
光と影、善と悪の微妙な配合が人間としての味を作り出します。ところが人と出会った時など、その人が持っている特技が際立て、その人を特徴づけている様に見えてしまいます。例えば、足が速いとか、高く飛べるとか、サッカーでゴールの名人、抜きん出た野球のバッター、編み物の名人、和裁の名人、腕利きの大工さん等々、色々な特技の持ち主がいますが、それはその人の中で1番目につくものであるのは間違いないことです。
もしそういうところに目が眩んで、その人と結婚したらどうなるでしょう。他人として外から見ていた時は華々しく見えたのでしょうが、家庭に入って、共同生活を始めると、一番近くにいる人にそんなに目立ってほしくないものなのです。そんなものは却って二人の間の絆にとって邪魔になるだけのものなのです。旦那さんは、奥さんは、特技があって有名な人なんかよりは無名の、ぶきっちょうな素朴ないい人が最高です。結婚は生活の条件をどのくらい満たしてくれるかで相手を決めるものではありません。私は少なくともそう思っています。相手のお財布でも、名刺でもなく人柄で決めます。
人柄が何で作られているのかというと、善人と悪人の混ざりです。それが模様であり、柄を作るのでしょう。その模様の味わいを読んで、この人柄の人とならと、決められるのなら結婚はなんとかやっていけると思います。
人間は自分で自分が善人なのか悪人なのか判断できません。人に決めてもワウものでもありません。私は正義に忠実な人間ですと言って善を装っている人ほど醜い者はいません。偽善は最高に醜いです。政治思想に走る人たちの中にこの善を装う人が多いのにはびっくりします。合理的に整理がついた様なことを言う人は自分の考えが正しいと自信を持つのですが、どこにも根拠がないことを知らずに自惚れているだけです。あるいは知っていてパフォーマンスをしているだけなのかもしれません。それはもっと醜いです。
今回のアメリカの大統領選挙では色々なものがよく見える様になって、とても勉強になりました。
善と悪は本当はユニークな組み合わせだと思っています。例えば映画で悪役をする人ですが、この人たちはいかにも悪人らしく見えてスクリーンに現れると観客は腹の底から煮えたぎってくるものを感じるほどですが、悪を引き立たせられるのは根がいい人に限るのだそうです。そのいい人が悪役を演じるとき、悪が際立ってくるのだそうです。でもその逆は成り立たないと言うことでした。不思議です。