ライアーでの伴奏への想い

2021年2月16日

日本がまた地震で揺れました。かなり大掛かりな地震だったようで、被害に遭われた方のご無事を祈っております。

こんな時にはライアーを手にします。そして気持ちを込めて、シューベルトの「リタナイ」(祈りの曲)の伴奏を弾きながら歌います。皆さんに少しでも私の思いが届く様にと祈りながら。

 

ライアーは、聞く機会が残念ながら少ないのですが、伴奏に向いている楽器です。弦楽器の伴奏というと一世を風靡したギターの伴奏をすぐ思い浮かべます。カポダストの助けを借りれば三つの和音でたくさんの曲の伴奏ができたのです。ライアーの伴奏もそんな風にしている方もいますが、ライアーには別の趣で伴奏ができると私は色々と試みています。

 

もう十年以上前のことですが、日本の歌をライアーの伴奏で弾ける様にと頑張りました。それが楽譜集になっているので、今回もその中からいくつかを弾きながら、当時のことを懐かしく思い出していました。

当時作曲中に参考のために聞いていた音楽は、シューベルトの歌曲とクープランのチェンバロ曲がほとんどでした。二人からインスピレーションをもらっていました。シューベルトの歌曲伴奏はピアノですから、ライアーでは弾けないものばかりですが、歌と伴奏の兼ね合いが知りたかったのです。昔シューベルトの歌を歌っていた時には、歌は随分と研究して、それなりにシューベルトの歌心といったものには触れた感触があったのですが、その時はいつも友人たちに伴奏してもらっていたので、伴奏の方には任せきっりで、特に深入りしませんでした。

ライアーで日本の歌の伴奏をとライアーゼーレの小沼さん夫妻からお声がかかり、伴奏の世界がいっぺんに身近なものに変わり、初めてシューベルトの伴奏に正面から向かい合ったのですが、歌を支えていてくれたものがこんなに広い深々とした世界だったのかと、感動の連続でした。

シューベルトのピアノ伴奏はピアノの独奏曲とは違いものでした。歌には、歌詞があり、それを歌うメロディーがあります。そこに伴奏が加わるのですから、ピアノの独奏曲を作るのとは誓って、制約があります。

不思議な体験は、シューベルトは伴奏と歌とが彼の頭の中で同時に進行していたのではないかと感じた時です。シューベルトの歌と伴奏は、二つの世界が独自の世界観で出会っているものです。ただ和音を鳴らし伴奏しているのではなく、伴奏は伴奏で一つの世界をしっかり持っている「作品」なのです。それがこんなに見事に同居できることが不思議でした。そこがシューベルト以前の歌曲作曲家と決定的に違うところです。

 

さてライアーでそこをどのようにクリアーしたらいいのかという課題がありました。歌詞を読み、メロディーを聞いて、全体像をイメージすることから始めました。色々と悩んでいる中から海の伴奏の波のイメージが音となって聞こえてきました。オクターブを使って波のうねる様子を柔らかく表現できたのです。この時の喜びは忘れられません。今でもこの伴奏は大好きで、歌わずに伴奏だけを弾きます。透明な水が波打っている様子が音となってライアーにぴったりだと我ながら感動するのです。

ふるさとの伴奏ができたときも「なんでこんなことが自分にできたのだろう」と感動でした。実は友人に歌曲の伴奏をお仕事としている女性がいます。私のシューベルトの歌曲の会で伴奏してくださったことがある方です。彼女がソプラノの歌い手さんの歌曲の夕べのとき、アンコールに歌われた故郷に、私のライアー伴奏を使ってくださったのです。後日この伴奏の方が曲のイメージにずっと近いと言う感想をいただきました。

もう一つこの故郷の伴奏にまつわる逸話です。この伴奏を気に入ってくださった画家のかたが一枚の絵にしてくださったこともあります。故郷と題されたその絵は、私の伴奏からインスピレーションされたということでした。

 

ライアーと言うピアノから比べると規模の小さい楽器でも、イメージの仕事という観点からは同等に張り合えるのだと思っています。近い将来、また歌の伴奏に新たな思いで挑戦してみようと思っています。

 

コメントをどうぞ