電波と声
声は電波と相性がいいのだろうか、と気になります。
いよいよ来週の火曜日に迫ったオンライン講演ですが、突然声のことが気になったのです。
今までの私の講演は声が半分以上、三分の二位の働きをしていたと思います。もっとかもしれません。声の助けを借りて話していました。その声が電波を通して皆さんのもとにやってくるとなると、今までのように声に頼り切ってはいられなくなるかもしれないなどと頭をよぎります。
しかし心冷静に考えてみて、一つ確信を得たのでその報告をしてみます。
去年の京田辺シュタイナー学校での講演では私の持っている病気のことがテーマでした。主催者の方からの希望でした。その際、その病気の治療のためにしたことにふれた後、回復するに従い体に変化が生じ、最後は声になって今に至っていることをお話ししました。
つまり私の声は、いわゆる発声法で得られた声ではないということです。なんのメソードも根底にはなく、私が治療時に体験した様々なことが、体が少しずつ良くなってゆくプロセスで声に変わっていったものだったのです。ということで、私は声に関して発声のメソードがないので、メソードでやっていらっしゃる方達とは話が合いません。
私は病気を通して生命力の源にまで降ろされた様です。血の病気でしたから、生命の根源のところが狂ってしまったのです。そこに降りてゆくにはどうしたらいいのか、医師とセラピストと患者であり治療教育家である私の三人が三つ巴になって話しあいを繰り返しました。今にして思えば貴重な時間です。毎回、エーテルの力に働きかけるにはどうするかということを話し合ったのです。エーテルを、先程の三人の意識の下に引き寄せていたのです。それは私という実験場で半ば成功した様です。私の体は生き始めました。私の義父は普通の医者で、私の再生不良性貧血に対して懐疑的で、助からないかもしれないと内心思っていましたから、彼の立場からすると、私たちのやっていたことを遠くから眺め、何をやっているか分からないのに元気になってゆくのが不思議でならなかったようです。
元気になるに従って、エーテルを意識することは無くなりました。エーテルの中で起こったいろいろなことも消えてゆきました。その一つ、セラフィー中に体が色に包まれるということも消えて無くなりました。それが消えた頃から声が変わったのです。声の中身が変わったのです。物理的な外の声は変わっていないと思います。声紋をとれば以前と同じ声紋でしょうが、声の中身が変わったのです。
ここが私がメソードで声作りをしているところと一線を描きするところです。メソードでは声の中身が変わらないからです。声の中身はエーテルです。生命力です。そこが変わると声が変わります。何時間話しても疲れなくなります。声が枯れるということはありません。喋れば喋るほど、泉から水が湧いてくるように声からエネルギーが補給されて元気になります。
このことを思うと、今回電波に乗る私の声がどんなものになるのかという心配は消えます。物質としての声とその向こうの声の二重構造で今回のオンライン講演を乗り切れそうです。声がしっかり届いていれば、聞いている方達は、私の話し以上のことを講演会で体験されるからです。