三寒四温
三寒四温と聞くと春の気配を感じます。これを情緒的というのでしようか。週間天気予報で向こう一週間の天気、気温の様子を見るときは感じるものではありません。
どちらも自然の移り変わりを言い表しているものですが、三寒四温の方により自然を感じるのは、私の年齢的なものなのでしょうか。
自然の中で私たちは生活しています。農業に従事されている方から比べれば普通の人は、特に都会人は自然に対しての反応が鈍くなっていますが、それでも自然の中の存在です。自然というのは私たちが想像する以上に曖昧なものですが、それでも身近で、情緒的なものとの結びつきで存在しているので、とても信頼感のあるものだと言えます。
人と人とが話をするときに一番話題になっているのは天気のことだと言う報告を若い頃に読んだことがあります。他にもっと大切なことがあるはずだなどと若気の至りで感じたものですが、今は「そうか」と納得します。明日が雨になるのか、晴れるのか、寒いのかなんてどうでもいいわけです。それに見合った服装をしていれば問題はないのですが、自然の中の天気はそういう基準では存在していないのです。
ニュートンが本当にリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したかどうかわかりませんが、林檎が木から落ちると言う自然現象をきっかけにしていることで、ニュートンと万有引力の発見という物理的現象が生き生きとしてくるのです。そしてそのまま何百年と後世に語り継がれるのです。もしニュートンが実験室にこもって一人で黙々と万有引力発見したとして、万有引力の発見者ニュートンがこれほど人気のある話になってはいなかったと思います。
自然はいつも身近にいて私たちを包んでいます。ときには自然が私たちの中に入り込んでくることがあります。松尾芭蕉は、松のことは松にならえと言いました。シュタイナーも自然が自然の法則を教えてくれていると言います。ゲーテは雲を徹底的に観察して次に起こる空の様子を言い当てたと言われています。その時使ったものはゲーデロメーターと言われるシンプルな構造の器具で今日でも使われています(これはゲーテが発明したものではなく、ゲーテはこれをフルに活用しただけです)。
ともあれ、自然と人間は不思議な結ばれ方をしています。神と人間の結びつきよりも情緒的なので、気まぐれですが、とても身近で、親しみやすいものです。
三寒四温、ドイツもこれから少しずつ暖かくなってゆきそうです。