後藤淳子先生を囲む会のお知らせ
やまさとの後藤淳子先生は私の20年の講演活動を支えてくださった一番の恩人です。
先生は今年喜寿のお祝いをします。
「おめでとうございます。これからもどうぞお元気で」
先生が私の講演会を支えてくれたと言っても、その支え方は尋常ではありませんでした。
保育園の大きな行事には、自腹を切って私をドイツから必ず招待してくださいました。
「あなたがいてくれるとそれだけでこころづよいの」
そうおっしゃるだけです。
私の話をとても評価してくださいました。
話しの内容よりも、むしろ話術でした。
「こんなにぐいぐいと話しに引き込まれるなんてめったにないですよ」
いつも先生は大変な題を私にぶつけては楽しんでいらっしゃいました。
「天から降りてきたからしょうがないのよ」
澄まし顔です。
先生の太っ腹は有名です。挙げたらきりがありません。
私が初めてCDを出した時には100枚買ってくださって、保育園の皆さんに配って差し上げるのです。
「自分がいいと思ったらそれは人に薦めなければだめです。自分だけのものにしていたらいいものがひろがらないもの」
さらりと世の中に奉仕します。
シュトゥトガルトのオイリュトミーが名古屋と東京で行われた時、原動力になったのは後藤先生の太っ腹と、後藤先生率いるやまさと保育園でした。
「運動資金は私が立て替えてあげますよ。後で返してくれればいいから」
いつもこんな調子で相当の金額を立て替えていらっしゃいました。
先生は信仰の人です。
その信仰心は宗教の枠を超えてしまいます。
宗教と言う枠にこだわる人には理解できない人です。
「あなたも信仰を持つといいわね」
かつて先生は教育勅語を、保育園のホール、和の部屋にかけていらっしゃいました。
教育実習でやまさと保育園に来た若い人がそれを見て先生に食って掛ったことがあります。
「じゃそれを読んでみてちょうだい」
若い人は読めません。
「自分で読めないものにどうしてそんなことが言えるの」
を若い人はたじたじでした。
突飛押しのないことを、普通にします。でもそれが、長い目で見たら本当に多くの人の役に立っているのです。
「一人くらい気違いがいてもいいわよ」
そこのところを友人のボランの広場の柿沼さんが気付かれて、先生を囲む会をすることになりました。
私は先生から沢山の話しを引き出す役です。先生への感謝の夕べですから講演日程には入れていません。
今名古屋に幾つものシュタイナーの拠点になっているところがあります。やまさと保育園が企画した幾つかのイヴェントを通してシュタイナーのことを知った人たちがその中には随分います。
先生を囲む会は、後藤先生のパイオニア的な業績を、心ある人たちで集い感謝しようと言う企画です。
喜寿の年にこんな素晴らしい感謝の会ができるなんて、
「さすが先生ですね」
先生の口癖が二つあります。
一つは
「わたしは何にもしていないよ。みんな周りがしてくれたことですから」
もう一つは
「わたしは神様の番頭ですから」
先生を囲む会について、詳しくはボランの広場に問い合わせてみてください。
10月21日の夕方五時からです。場所は東山線の一社にあるボランの広場です。
今から、本当は照れ屋の後藤先生のほくそ笑んだ顔がみられるのが楽しみです。