病気分け、怪我分けという考え方
三月の半ばに庭の木を剪定していたときに、梯子をかけていた枝が折れて体を地面に叩きつけられました。普段は考えられないような状況で、いまだになぜそうなったのかがわかりません。
落ち方が良かったので、体が回転できたので、衝撃を緩められ痛み、打身はほとんどなかったのですが、やはりある程度の高さから落ちた時に受けた衝撃があったようで、その直後よりもしばらくしてから色々と弊害が出てきました。
時折頭痛のようなものがあったりして、一時ブログが書けない状態で、書き溜めていたものを配信して中継ぎをしましたが、それもできなかった時は休まざるをえませんでした。
今はずいぶん回復しているのですが、体がなんとなく疲れやすく、根を詰めるとすぐに疲れて横になって寝てしまいます。
少し不思議な話をします。
昔、父が脳血栓で倒れた時、父が65私が35の時です。私も再生不良性貧血で倒れました。その時に、とにかく報告しておかなければと、言葉を選びながら手紙を書きました。その時点ではまだ父が倒れたことは知りませんでしたから父と母宛の手紙でした。その時は余命を宣告されていましたから、恐々と文章を綴った記憶があります。もちろん母は父に私のことは話さずにいました。
母の知り合いの、霊治療を生業にしている女性に父だけでなく息子の私までが時を同じくして倒れてしまったことを話をしたら、「息子さん病気分けをしましたね」と言われたそうです。父の病気の半分を私が引き受けたということらしいのです。
父が快方に向かうにつれて私の方も少しづづですが、体に力が湧いて来てきたのです。病気分けのことはずいぶん後になって聞かされたのですが、そんなこともあるんだと不思議な感じでした。
今回母が一月に大腿骨を折って入院し、手術を受けました。麻酔の影響などが心配でした。その後リハビリをしているときにも私が体を地面に叩きつけるということが起こったわけですが、その瞬間、内心で、もしかしたらこれで母が早く良くなるかもしれないと思ったりしました。病気分けならぬ怪我分けだったのかもしれません。なんだか時期が重なっていることが今回も不思議でした。普段は絶対に折れるような枝ではないだけに、話はますます不思議です。