ホイットマンの詩集 「草の葉」
アメリカの文学から何か挙げなさいと言われたらしばらく考えて何人か挙げます。
よく読んでいるヘミングウェイもその一人です。
もし一人だけ挙げろと言われたら、迷うことなくホイットマンを挙げると思います。
ホイットマンは生涯に「草の葉」という詩集を一冊しか残しておらず、しかもペーパーバックで四百ページ程の量です。とても寡作な作家です。
でもとても手ごたえのある詩を書いています。決して深刻に、重くならない軽みのある詩です。
彼の詩にアメリカ俳句と呼びたくなるくらい俳句の精神に近いものを感じます。
言葉に飾り気が全く無くて、しかも素直な気持ちがストレートに言葉になっているからでしょう。
幾つかの詩を続けて読んでも読み疲れしないどころか気がつかないうちに心がとてもゆったりしてくるのです。
日常の些細な、ありふれた仕草がさり気なく歌われているのですが、ホイットマンの手になると、日常の何でもない一齣が高貴な瞬間に変わります。
詩人の中の詩人です。
はじめの詩集は二十五歳の時に作った十二の詩をまとめたもので、それを町に出て通り行く人に声をかけて売って歩いたそうです。相当自信があったのでしょう。
ホイットマンの言葉遣いには迷いが無く、無理が無いのも特徴です。優しいのにきっぱりとした言葉遣いです。そこからいつの間にかゆったりとした大きな広がりの中に導かれてゆくのです。しかもそこはいつも居心地がいい居場所です。
言葉にしたらこんな詩がホイットマンの詩です。一筆書きの様な詩です。だから草の葉なのでしょう。本当に草の葉の様にさり気なく存在しています。草の葉の様に欲が無く、草の葉の様にしなやかです。
英語のすこしできる人は英語で読んでください。英語以外の言葉ではホイットマンは詩を書けなかったでしょうから、英語で読むのが一番です。
T o Y o u
Stranger, if you passing me und desire to speak to me,
Why should you not speak to me?
And why should I not speak to you?