倫理は怖いものに変化することもあります

2021年11月9日

倫理は確かにあります。あると信じています。ところが倫理がどこにあるのかというと、はっきり言えません。見えない力とでも言っておきます。
その見えない力は人の行動の中に、人の判断の中に見られます。生き方を、人格を貫いているものです。
そんなに確かなものなのに見えないのです。手応えもありません。

倫理は習得できるものなのでしょうか。
私はできないと言います。
精神修行をすることは倫理とどう関係するのでしょう。
直接関係はないように見えます。

百メートル走を毎日練習すれば誰でも10秒で走れる様になるのかというと、そうはならないのと同じです。
センスの問題です。洋服のセンスの様なもので、持っている人と持っていない人に分かれます。倫理もちょっと似ています。
倫理のセンスのない人と話していると、共通するものを感じます。
他人の話が聞ける聞けないのレベルではなく、徹頭徹尾自分勝手なタイプで、ナルシストです。感情に振り回されている心に基準のない人です。

一見誰にでも備わっている様に思われがちですが、倫理はセンスであり能力に近いものなので、たくさん持っている人、ほとんど持っていない人と人様々です。
訓練とか練習がほとんど役に立たない掴みどころのない世界からのものです。
料理のセンス、洋服のセンス、会話のセンスなどと同じで持っているか持っていないかで分かれてしまうところがあります。

ただ倫理を形にして、いわゆる道徳とか、修身のように行動原理にすれば、みんなが感じられるものになることもありますが、それではもうすっかり倫理から離れて、気持ち悪いものが一人歩きしているだけです。

もう一つ。倫理は強制する力と変化するとグロテスクなものになります。
グロテスクで終わればいいですが、高揚すると暴力になります。倫理が暴力とかした時ほど怖いものはありません。人間だけでなく、社会も振り回すことになります。
パワハラ、パワーハラスメントの根底にあるのも倫理の暴走だと考えるのですが。違いますか。

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