思考型と直感型。「真善美」の行方
精神生活と言えばすぐに思考が思いつきます。
そこで思考は欠かせないだけでなく、最高位に位置しているものです。
論理的であり、理路整然とした、現代人好みの非の打ちどころのないものは思考からしか生まれないのです。
別の見方をすれば、思考的な人は冷静な人のことです。計算高いところがもちろんありますから、辻褄が合っているだけで味気ない人です。感情的、衝動的な人の予定の立たない行動は、思考的な人にはあまりに非論理的で理解できないものなのですが、混沌としたところに温かみというのか温もりを感じます。
思考的にではなく直感的にとなると、証明というものをめぐって何かが違ってきます。今日的には、直感というのは単なる思いつきと区別がつかないものです。ただ結果的に何年か、何十年かして「あの人が言っていたことは真実だった」というようなことが起こり、そこで救われるという程度の代物ものです。
将来は証明できないものでも真実かもしれない、と言える姿勢が当たり前になっているのです。思考的生活からは考えられない、いい加減さが非思考的生活にはあります。
思考を最優先するというのは私たちが生きている時代の一つの特徴に過ぎないものだと考えると、後何十年かすると、今流行りの思考的なというものが時代遅れの、古色蒼然としたものになるかもしれないのです。その時は直感を多くの人がもち、テレパシーによる交信術が当たり前になっているかもしれません。証明できるから正しいなんていう人はいなくなっているかもしれないのです。時代遅れだからです。
未来人は、正しいと思える根拠が今の人とは全く別のところに置かれてているので、証明に頼らなくなっているのです。
そのための武器はしつこいですが、直感です。直感が当たり前になれば、ある人の直感に真実が宿っているかどうかが他の人にも即座に分かるもので、証明なんて呑気なことを言っている暇は無くなってしまうのです。
私たちは真善美と分けていますが、直感形の時代では真善美は一つにまとまります。今はまだその呼び名がありません。
今日直感は辛うじて美の世界では認められたものですが、真実を求める科学世界、学問の世界では難しいものです。
ところが、将来は科学も学問も直感の方に真実を感じることになります。今日、美を直感で感じているようにです。
人間関係の作り方も今とは全く別のものになっているはずです。人の本質がよく見えるようになるからです。これが直感の特徴です。
今日の社会では組織が大きな力を持っていますが、それは将来はなくなっているでしょう。名刺なんてものもいらなくなります。
今時の教育の現場を見ると、教育以上に、教育組織の維持のため、教育組織が機能するために先生たちは振り回されていて、教育本来の仕事が等閑にされてしまっています。子どもとの接触は時間が余った時になんて悲劇的なこともしばしば起こります。
非組織的な社会は、もちろんそれは直感を持つことでしか生まれないのですが、物事の本質が日常生価値にずっと近いものとして捉えられるようになります。今日の組織化した社会は、思考的な社会から生まれた病気のようなものです。必要悪ともいえます。思考という本来は論理的なはずのものが、人間という渦に巻き込まれてしまっているのです。つまり組織を変えるのではなく、組織がなくなるように努力すべきなのです。
精神生活が直感で支えられるように直感生活に入ってゆきたいものです。