人形の顔。線の動き。
孫にコケシを買ってゆきたいと色々とコケシを見ていて、コケシごとに顔が違うのがとても興味深かったのです、そんなこんなを書いてみます。
まずはちょっと違ったところから人形の顔の興味深いエピソードを書いてみます。
ある保育園の園長先生が園の秋のバザーに手作り人形を売る提案をしました。
早速人形をどこに注文するののかという話にまで進み、ある老人ホームに聞いてみようということになりました。老人ホームの住人の中にはかつて手作りを得意とした人が必ずいると読んだのです。
ある老人ホームから朗報が舞い込み、早速必要な材料を添えて注文を発注して出来上がりを待ちました。二十体の人形ですから、秋のバザーに間に合うように春頃にはすでに注文をしていました。
夏の終わり頃、注文していた二十体の人形が出来上がってきた時は、園長先生はじめ職員の人たちは、送られてきた段ボールの箱が開くのが待ち遠しいと言わんばかりでした。
さて人形が箱から出されてきた時です。園長先生の期待に溢れていた顔が陰ったのです。無言のまま、次の人形を箱から出すと、また同じように沈んだ顔なのです。他の職員もそれぞれに箱から人形を取り出したのですが、みんな一律に顔が陰ってしまったのです。
人形はよく作られていて申し分のない出来だったのですが、人形顔がみんなお年寄りのおばあちゃんの顔だったのです。「これでは売れない」とみんなが顔を見合ったということです。
コケシの顔を見ている時に思ったのは、作家さんのイメージが顔を書かせているということでした。古い時代の顔と今風の顔があるようです。好みもあるので一概には言えませんが、私には古い顔の方が穏やかな気がします。その顔を見ているとこちらも幸せになってきます。
ドイツにクリスマスの頃になると出回る、エルツ地方(旧東ドイツ)の人形があります。ドイツの人件費が高くなり、ある時からほとんどが外国に発注されるようになりました。初めは東欧でしたが今では東南アジアでも作られているそうです。
その人形たちの顔が、いわゆる「Made in Germany」の時の顔と、外国に発注されるようになってからの顔は明らかに違います。アジアの職人さんの器用な手がドイツのオリジナルの顔を真似して書いているのでしょうが、技術的な優劣ではなく、僅かの線の動きに微妙な違いがあり、その僅かの違いが顔全体の表情を別のものにしているのです。どこか昔の顔と違うのです。
今の二つの例を見て言えるのは、顔つけは、それを描く人そのものが丸ごと出てしまうということです。
顔は顔なのですが、線にその人が出るのだと思います。老人ホームで作られた老人の顔をした人形を私も見せていただいたのですが。点として、つまり目だけを見れば不自然なものは何もないのです。鼻も、口元もです。しかしそれを結んだ見えない線の中に、老人がいたのです。
私たちの生き方は、点で見るか線で見るかによってずいぶん違ってきます。
大抵は点で見ています。しかし人生はその点をどのように結ぶかで決まると言えるのではないかと思つています。
何が点で、何が線なのか考えてみてください。