シューベルトが聞いた音楽
シューベルトの音楽は外からの枠を必要としなかった音楽で、内側からこんこんとわいてくるものに身を任せているところがあります。
こう書いてしまえばそれまでのことですが、これが普通にはできないのです。
そもそも音楽が作曲家の中でどんな風に聞こえているのかを考えると、なんとなく神秘の世界に入ってしまいそうで、ワクワクします。
一瞬のうちに何かが輝いているのでしょう。想像するだけでも大変なことをしている様に思われます。
大がかりな、大きなシンフォニーが一瞬のうちに鳴ってしまう様な事を想像するのですが、普通の人がやったら一回で精神的におかしくなってしまいそうな世界です。
それがこんこんとわいてくるのですから、作曲家というのは本当に大変な人たちです。
シューベルトのことに話しを戻すと、彼は内側から湧いてくる音楽が勝っていて、それを外の枠、音楽形式とかソナタ、バラードというものに当てはめることをする必要が無かったのです。
私たちが生きて行く上ではどうでしょう。、外からの枠が無かったらとても生きづらいのです。
特に男性は何処かに所属していることで先ず安心します。そうすることで何をしていると言う自分に対しての枠ができます。社会に対してもですが、自分に対しても枠を作る方が楽なものです。
シューベルトの最晩年に書かれた作品で即興曲と呼ばれているものがありますが、これがピアノソナタとして書かれたのか、それとも四曲の即興的雰囲気を持つ楽章をただ並べただけなのかと音楽学者の間ではよく論じられています。
どっちでもいいんです。
シューベルトは何も考えていなかったかもしれません。
そんなことよりも内から湧いてくる音楽にじっと耳を傾けている方が大事だったはずです。
この世の空気に汚れていない無垢な音楽を作曲家たちは聞くのです。
それを地上の音楽にするにはたいていの作曲家が型という枠を手段にします。
シューベルトはそれが必要のない人だった、私はそんな風に彼を捉えています。
全くうらやましい自由人でした。