お隣さんヴェラーさんの死。人付き合いは80パーセントがきれいだ。
一昨日道を隔て真向かいの、今年六十八歳になる女性、ヴェラーさんが亡くなりました。
一年半ほどがんの治療をしてるのではないかとうち内で察していましたが、本人からはもちろんご家族の方からも何も聞かれされていなかったので、ただ早く良くなってほしいと願うばかりでしたが、ついにその時が来てしまいました。
五月にお嬢さんにお子さんが産まれ、道で会ったときに、初孫の誕生を本当に嬉しそうにお話しされていました。亡くなる二日前に息子さんからも、博士になったという知らせを受け取っていましたから、お子さんたちの将来をも見届けて天国に行かれたのでした。
ヴェラーさんは女医さんで、つい二ヶ月前にお仕事に向かうときにお目にかかったのが、今思うと直接話ができた最後でした。いつお目にかかっても、気さくに挨拶を交わすことのできる方で、通行する車に気をつけながら、彼女の姿を見ると必ず彼女の方に駆け寄り握手をして、二言三言でしたが話をしたものです。彼女を目にすると、自然と近づきたくなる気持ちが起こるのです。
ヴェラーさんが亡くなられて、自分がこんなに深い悲しみに陥るとは考えても見ませんでした。
私より若いし、いつも向かいの玄関から笑顔で出てくるのが当たり前でしたから、ヴェーラーさんがいなくなるなんて想像もしなかったことです。
それにヴェラーさんとのお付き合いは、ご近所さんでもべったりの付き合いにならず、会えば必ず挨拶をするだけの一番自然なものでした。彼女の個人的な悩みなど知る由もなく、時々目にする親戚付き合いの他は、たくさんのお知り合いの方は目にして、特に親しくしている友人がいるとは思えませんでした。
ヴェラーさんはどこかに孤独を漂わせている方でもありましたが、それがヴェラーさんに影を落としている様子は見受けられませんでした。逆にそこから凛とした気品が生まれていたと思っています。とても働き者で、「私は不器用だから」と言いながらも何でもする方で、そうしている姿が一番彼女らしい姿でした。亡くなる二ヶ月前にまだ女医さんとしてお仕事をされていました。さすがそのときににお話をしたときには声に力がなく、それが私の心配の種でしたが、病気はすでに相当進行していたようで、本人は医者ですから、自分の命のことは誰よりも知っていたのでしょう、最後の力を振り絞ってお仕事を続けてたのでした。
私の住んでいる向こう両隣10世帯は毎年一回ご近所会と称し飲み食い会をしています。小さな子どももいますからせいぜいグリルパーティー程度のものです。妻が二ヶ月前にヴェーラさんに会った時の第一声が「今度のご近所会は誰の担当」と心配そうに聞いていたそうで、「私がやってもいいわよ」といつもの調子で、何でも引き受けてしまいそうな勢いだったそうです。
八月に息子が結婚したときにも、きれいな真っ白な花束を届けるように息子さんに言いつけ、「母からです」と息子さんがうちの息子夫婦に届けてくれました。
彼女が亡くなったことを知ったお隣さんが、夜遅く訪ねてきて、涙ながらに「ヴェラーがいってしまった」と泣き崩れました。彼女がご近所の中では隣り合わせということもあって一番長く親しく付き合いがあったので、悲しみは本当に大きかったのだと思います。その彼女ですから一ヶ月前までは、入院しているヴェラーは胃の手術をしたらしいという程度の情報しか持っていなかったのです。
ヴェラーさんの病気のことを知っていたとしても何もできないわけです。私たちも何をしてあげたらいいのかわからず、玄関先に花を届ける程度しかしませんでした。
息子さんは雪の研究をしていて、六年前に東大で半年研究室にいたことがあり、我が家の菩提寺が谷中(上野・日暮里・根津)だったので一緒にお墓参りをしたり、母が住んでいた逗子にも遊びに来たりとしたことが縁で、ヴェーラーさんとはそれ以降、以前よりも一層親しくなった気がします。
ヴェラーさんに会うときに感じるのは、いつもとても気持ちのいい距離感でした。清潔な距離感と言いたくなるものです。親しくても深入りせず、自分は自分、他人は他人。それでもいつも笑顔で人には接する。今思うとヴェラーさんはそれをしっかりと実践していたのだと思います。それなのに、いやそれだからこそ、彼女が亡くなった後の悲しみが大きいのだと思います。気持ちのいいお付き合いとはこんなに貴重なものなのだと感じでいます。
今年の二月に母を亡くした時の悲しみとは違うものですが、彼女と人生の一コマを共有できたことが今は本当に嬉しく、その嬉しさの裏返の悲しみが大きく、こうして文章にしてしまいました。
読んでいただいてありがとうございました。
合掌