現代音楽のこと

2022年12月9日

現代音楽は聴く機会が少ない音楽です。

世の中には色々な音楽のジャンルがあっても、私は色々と聞く方ですが、現代音楽ほど聞くことの少ない音楽は他にはない様です。普通にラジオを聞いていても耳に入ってくることはありません。ごく特殊な流れでしか出会えない、ごく特殊な音楽、それが現代音楽です。

聞き機会が少ないからいまだに聞きづらい音楽なのか、あるいはそもそも聞きずらい音楽なのか、それとも聴衆など全く必要としていない孤立していたい音楽なのか、私には判断しかねるのですが、とにかく音楽好きでも焦点を合わせずらいことは確かです。

音楽の世界でこれほど聴衆の対岸にあるものはないようです。この現代音楽にしても、音楽として、芸術として、なんらかの役割を担っているとは思うのですが、今の私にはそこが見えて来ないのです。

現代音楽は、学者たちの解説を読んだりすると、新しい試みだと理解できるのですが、とても挑発的な印象が強く、時には聴衆を突き放す様なところもあって、聴衆を巻き込んでしまうような力は全く感じまないのです。現代という時代が抱える社会現象を、学問としてではなく、哲学としてでもなく音楽で表現したいのでしょうが・・。確かに色々な芸術がそれぞれの時代を先取りし、その時代に潜んでいるポテンシャルを形にしようとしてきましたから、そこに並べることもできるとは思いますが・・。

絵画にしろ彫刻にしろ建築にしろまずは時代に花伐され、しばらくしてから受け入れられながら時代と共に進んできたのです。音楽の世界にも同様のことが起きていて、それが現代音楽のはずです。今の時点で私たちに全く受け入れられていない音楽でも、しばらくすると、いつのことかはわかりませんが、時代に溶け込んで毎日の様にどこかの音楽会で聞かれる音楽になるのかもしれません。聞いていると落ち着くというファンも出てくるのかもしれません。

 

その様に解釈する一方で、もしかしたら音楽はもうエネルギーを使い果たし枯渇しているのかもしれないと思うこともあります。今最も聞かれている音楽は既に何百年も前からのものです。様々な音楽家が色々な解釈を施して試みているだけだとも言えるのです。解釈は大事ですが、解釈と創造は別ものです。

音楽だけでなく「私たちが芸術と呼んでいるもの」はもう解釈の中に閉じ込められているのではないかと思うのです。私たちが予想することができないような、未知の新しい芸術がこれから登場するのかもしれない、そんなことも考えます。あるいは今はその過渡期であり産みの苦しみの中にいるのかもしれないとも考えるのです。いずれにしろ私たちは不毛の時代を生きているということには変わりありません。この不毛を通ることなくして新しいものは生まれないことも承知しています。私たちにとって退屈な時間を持つことが生きるエネルギーを見つけるために必要な様にです。

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