音楽のこと、musicのこと。そしてちょっとカラオケについて

2022年12月19日

音楽のことを書きます。とは言ってもどこに焦点を当てようかと迷ってしまいます。

ちょっと理屈っぽくなるかもしれません。

数多いる音楽家について述べるのも一興ですし、演奏家についても話題は尽きないのですが、それらは結局のところ趣味の領域を多く含んでしまうので、蓼食う虫も好き好きというところに落ち着いてしまいます。

それよりも音楽そのものを語ろうと思っています。

 

音楽は「音」と「楽」の二つの言葉を重ねるわけですよね。音楽は、音と楽の二つの要素を持っていると言いたいのかもしれません。これは漢字の得意とするやり方で、熟語というものです。二つ言葉を組み合わせることで意味に幅ができ熟すのです。何が熟すのでしょう。多分意味です。

 

音と楽とはそもそも二つのことを意味していて、別のものなのです。二つの別の意味が一つにまとめられたのです。ここがミソです。では何が違うのかということですが、簡単に言えば音は静けさ、静寂から生まれる内面的なもので、楽は外に向かう響きの世界のことなのです。音と響きは間反対のものなのです。音は静けさを極め、楽は響きですから五月蝿さに向かいます。

私といえば静けさを求める音楽も好きですし、外に向かう陽気な響きも好きです。静かとか五月蝿いとか言っていますが、音量、ヴォリュームのことを言っているのではないのです。静けさとはいうものの大きな音でも構いませんし、逆に小さに音でもイライラしたり、五月蝿いと感じるものもあります。

 

楽のほうに傾いたものは字の如く楽しむためのものと言っていいと思います。俗なのかもしれません。親しみやすくポピュラーなものが多く、軽快だったり迫力があったりと気分メーカーでもあります。ところが音というのは静けさから生まれるもので、精神的な世界に留まろうとしています。

楽の方はテクノロジーなどの進化に伴い、いろいろな遊びができる様になっています。アンプが造られスピーカーが生まれ、エレキ、エレクトーンにはじまる電気仕掛けの楽器はシンセサイザーにまで広がりました。響きの可能性をどんどん広げていますが、それで音楽が充実するのかというと、それはどうですか、響きの多様さだけでは音楽の充実とは別物です。音楽を従実されるものは静けさだと私は考えていますから、静けさを欠いた音楽は空疎だと言われても仕方がないのです。

これは音楽のジャンのことを言っているのではないことは強調しておきます。

 

ではmusicに話を移しましょう。musicはどう見るべものなのかと言うと、そもそもは言葉を歌うことに端を発しています。つまり歌かは始まったのです。musicは歌から生まれたとも言えるものなのです。楽器というのはそうした歌を、声を伴奏のためのものだったのです。

しかし歴史の流れを見ていると、中世からルネッサンスにかけて、伴奏である楽器が歌を凌ぐ様子が見えてきます。単なる伴奏のためのものだった楽器がいつしかオーケストラという巨大なものにまで成長したわけです。そして歌はというとmusicの檜舞台から下ろされてしまったのです。musicが歌だった時と、器楽曲として演奏される様になったという歴史の流れをどのように見たらいいのでしょうか。

 

今でも楽器を習うときに必ず耳にすることがあります。「歌うように」です。どんな楽器でも歌う様に演奏しろと言われるのです。musicの始まりは歌だったのです。

ところが逆に、歌い手たちに「楽器が奏でるように」とは絶対に言いません。器楽曲は歌になろうとするときにmusicになるのです。なぜ楽器のように歌わないのかというと、うるさいからです。楽器というのは響きを作るものですから、基本的には五月蝿いものなのです。歌は心の静けを湛えているものです。

しかし今は楽器の方がmusicの中では優位に立っています。日本語の音楽で言うと「楽」の部分ということです。音の部分が今は枯渇状態なのかもしれません。カラオケがあるではないか、多くの人がカラオケで歌っているではないかという人もいるかもしれませんが、カラオケは機械に合わせて楽器の様に歌うために作られたものではないかと思っています。「楽器の様に歌う」ものなのです。

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