音と色と線

2023年4月12日

音のことを先日何回かブログで書きましたが、そこでは音を消えてゆくものとして捉えました。

音は消えるものだとは言っても一度は聞こえるものとして現れたものです。ですから、聞こえた音のことをいうべきなのでしょうが、私には聞こえた後余韻を残し消えてゆく時に感じる存在感が気になっていたので、消えてゆく音に注目したのです。

その時に他の芸術に触れ、形が残るという括りで見ていましたが、佐伯祐三の絵を見る機会があり、彼の絵を見ながら、この画家は音楽に限りなく近い人だと思いました。

私がよく見ているYouTubeに山田五郎さんのオトナの教養講座があります。そこで佐伯祐三のことが紹介されていて、山田さんの話の内容の深さに改めて人柄を感じたのですが、そこから浮かび上がってきた佐伯祐三という画家にも、改めて惹きつけられました。

詳しくは皆さんがそちらを見ていただくとして(山田五郎 佐伯祐三で検索できます)、私がそこで感じたことを書くと、絵は色で描くものだということでした。

モチーフ、構図などは絵画論として扱えべき基本なのでしょうが、私にとって絵はいつも色と線でした。特に色は絵の心臓部だと思っていて、どんんな絵を見ても先ずは色に注目している様です。

色とは言っても、色の組み合わせをデザイン的な観点から捉えて奇抜性を狙ったものなどは苦手です。そうではなく、色だけ見ていられるような絵が好きでした。例えその絵が退屈極まりないものでも、色に魅力を感じた絵は何時間でも見ていられるのです。

色がいつまでも見ていられるというのは、色は形を残しそこに居座っていないからで、色から受け取る印象はまるで音のようで、消えていってしまうからだと思っています。確かに色はそのこに残って見えているのですが、形とは違い、色には消えてしまうという力があると思っています。

実は線もよく似ていて、線で形を書いているのですが、線は形のための道具ではなく、動きのために、動きを表すためにあるもののはずです。そして色と同じで、線も見えていながら消えてしまう性格を持っています。

消えるほどによく見えるというものかもしれません。

佐伯祐三の絵を見ながら、このことを改めて思い返していました。

その機会を作ってくださった山田五郎さんに感謝しています。

 

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