治癒する芸術

2023年4月28日

音楽を聞くというのは、三度の食事とは少し違う意味合いを感じます。

音楽は一ヶ月や半年の間聞かなくても死ぬことはないですが、食べるのは違います。音楽に限らずいろいろな芸術的なもの全てに言えます。

今は食べないで生きている人のことが報告されていますが、普通は一ヶ月食べないと生命にとって危険ですから、それまでに何かを食べなければなりません。同じように、脳に血液が三分流れないと脳は危険に晒されますし、水を三日飲まないと危ないです。

 

芸術的なものはそういう意味では生命の危険に晒されているわけではありません。ではなぜ人は音楽を求めるのでしょう。絵画や、彫刻、建築そして文学というものをです。

「病は気から」ということは、「元気も気から」と言えるのでしょうか。気が重要なポイントです。気が弱ると、病気になりやすいです。最近の言い方をすると、免疫力でしょうか。

芸術的なものは免疫力につながっているのでしょう。芸術的なものを必要としているのは、「気」だったのです。

 

芸術なんていうと、インテリの暇つぶしか遊びごとに聞こえますが、肉体的、物質的な刺激を楽しむのではない、楽しみ方をみんなどこかで憧れているはずです。

アフリカの村にボランティアで行ったドイツの人たちが、その村の女性が毎日一時間もかけて近くの井戸に水を汲みにゆく姿を見て、「女性に重労働をかけている」と村に井戸を掘る計画を立て、実際に堀はじめ、ついに井戸を掘って水がそこから支給できるようになり、女性たちの重労働を解放しました。

こうしてボランティアは成果を満喫しながらドイツに帰って行きましたが、その村では、彼らが帰ってすぐにその井戸は埋められてしまいました。

女性たちは毎日一時間をかけて水を汲みにゆく道すがら、近所の女性たちとの他愛ない会話の時間を楽しんでしたのでした。家庭から解放されたその時間はメンタルの栄養源だったのです。それは水がすぐ手に入るという便利さよりも彼らにとって大切なものだったのです。この水汲みの時間無くしてはその村の女性たちの命が輝かなかったのです。女性たちは毎日の生活で心に溜まったものを、歩きながら言葉にして気の合った友人とのお喋りで解放していたのです。今でいうセラピーです。お喋りセラピーです。

 

私はイライラして落ち着かない時に、昔読んで感動したカズオ・イシグロさんのノーベル賞作品「日の名残り」の英語を写しています。とても難しい英語ですが、以前に英語のよくできる人と一緒に勉強したので、今でも意外とスラスラ読めるので、書いていても内容が伝わってきて、写し甲斐があります。半ページも写すと気分が落ち着きます。つけペンで書くことが一番効果があるのですが、大抵は万年筆で、インクが切れたりするとボールペンかえんびつです。好きな音楽を耳で辿っている時のように、文字の流れを追っていると気分が落ち着いてきます。両方には共通点があります。これも芸術効果だと思っています。芸術というのは、人間が一人ぼっちにならないためにあるもののようです。これってとても大事なことなのです。

学校教育に芸術的なものが必要なのは、単に情操教育、教養教育なんて次元のものではなく、人間が孤独になって苦しまないためのものなのです。音楽を聴いたり、芸術に接することが生活習慣になることが大事です。つまり自分自分をセラピーすることです。人間を効率良く社会のために作る教育は、最終的に人間のメンタルな部分を援助できないので、彼らが生きている社会そのものが崩壊するでしょう。

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