イギリスと料理そしてドイツは ?

2023年5月2日

イギリスの料理のことは色々という人がいますが、ドイツはソーセージとじゃがいもの影に隠れているのかあまり言われませんが、料理の自慢ができる国ではありません。

ヨーロッパは南から北にゆくとだんだん料理に精彩がなくなります。ただフランスは例外でイタリアーよりも北に位置していますが、自慢料理が無数にあります。イタリアのパクパクたべるような料理からするとフランスはしっかりブイヨン(出汁)をとり、手間暇かけた料理が出てきます。

この手間暇かけるところをドイツ人たちは、「料理にあんなに時間をかけるなんて無駄なこと」と見ていて、フランス人を食い意地のはった人たちと見ています。ドイツでは「台所は汚さないで使うこと」と言われるように、手間暇かけないで食べられるものが好まれます。ブレッツェルというパンにヨーグルトを食べれば立派な夕食、パンにチーズとハム、しかもそれらが一番好きな夕食になる国ですから、フライパンに油を敷いてなんて想像しただけで、気絶してしまうかもしれません。

想像するに頭の中のインテリジェンスの比率が高くなると、食事への関心が低くなるようで、フランスや、日本のご婦人が長い時間台所に立ってゴソゴソと何かを作っているなんて、ドイツのご婦人は文化程度が低いのだと思っているに違いありません。「食べることよりももっと大事なことがあるのに」と煙たい顔をするのです。何がもっと大事なのかは人によって違いますが、文化と教養のために本を読むこと、テレビを見ること、ガーデニングをすることなどです。しかしそのことより、元々食べることに興味がないことが1番の原因だと想像します。パンを齧って夕食にするというのは例外でもマイナーでもないからです。

 

なぜ食べることことにこれほど関心がないのかは不思議でなりません。頭を使う人は摂取した三分の一は脳みそで消費されているのですから。

ドイツ人とピクニックをしたりドライブ旅行や小旅行をしたりしても、食べることは最後に決めます。時間がなければパンを買って食べましょうとなるか、食べないで帰りましょうになりますから、「せっかく違うところに出かけているのに」と日本人の私には寂しい限りです。

文化の比重の掛け方の違いなのでしょうが、それにしてもずいぶん極端です。楽器を演奏できること、音楽界に足を運ぶこと、展覧会を見に行くこと、とにかく教養を身につけること、教養を磨くこと、と食べることだけが生きる目的ではないと主張したいようですが、食べることを蔑ろにしすぎていないだろうかと危惧してしまいます。グルメやミシュランの星の数に気をとられて、料理が見栄え良く、アクロバット的になり過ぎるのも考えものですが、食べることに関心が薄いのも考えものです。

 

今の時代いろいろな文化が交流しているのはドイツも同じですが、料理がドイツ的になつてしまうのです。せっかくの機会なのに勿体無いと思うのですが、「人間はパンのみに生きるにあらず」と食べるだけが生きる目的ではないと、食べる文化はこの国では居場所がないのです。

 

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