遊び場でスマフォ

2023年5月5日

孫がいるので時々子どもの遊びに出かけます。

子どもの遊び場として一番は自然の中で、幸い今住んでいるところは森が近くにあるので、そこに連れて行くことが多いのですが、時には街の公園に連れてゆくこともあります。

森は遊び場ではないですから、砂場や滑り台などの遊戯道具がなく、倒れている木の上を歩いたり、小さな水の流れがあればそこに枯枝ぎを集めてきてダムを作ったりします。自然の中で孫は夢中になって、ダムで溜まった水が漏れないようにいろいろな大きさの枝を集めたり、時にには石ころも何処かで見つけてきたり泥を塗りたくったりして走り回っています。その頃には着ている洋服はもう泥だらけです。

たかがダムなんですが、何にもないところから枝を積み重ねてゆくと川の流れに変化が起こります。枝に止められた川が水かさを増してくるのを結構正確に把握しているようです。そして何が足りないかを自分で判断してそれを集めに走り回ります。こりが大仕事で、ついさなまごにはそうしたものがまだ見つけられないので手伝ってやりますが、ほどほどです。

ダムの水がどのように溜まってゆくのかは数字で計算できないですが、目で見ながら、どこにどれだけ泥が必要かも見極めているのですから大したものです。

こうした遊びは街の公園で見ることはありません。備え付けられた遊具を上手に使いこなしているのを見ると、それはそれで大したものだと思うのですが、遊びに呑み込まれてゆく集中度は、森の遊びとは比べ物になりません。子どもを取り巻いている時間の流れがまるで違います。一時間二時間などあっという間に過ぎてしまいます。大変な持続力です。

孫が作ったダムは彼らの力作ですが、枯枝の簡易ダムですから

cöih05、川の水に簡単に流されてしまうので、その度に作り直すのですが、文句を言うことはありません。自然の摂理にただ従っているだけです。それどころかそれがまた楽しいようなのです。川に向かって怒鳴っても何にもならないことをよく弁えているのです。

 

とりあえずダムが完成して家路に着く時にはさっきダムのために集めてきた枯枝の長いのが杖代わりになったりしていますから、枯枝は変幻自在の遊び道具です。しかもタダです。

 

孫たちは幸せだと思うのは、もし彼らが遊び道具だけの遊びしか知らなかったらと考える時です。もちろん滑り台は滑り台で楽しうものなのです。しかも子どもの想像力は凄まじいものですから、滑り台からとんでもない遊び方を作り出します。それはそれでなかなかのものなのですが、集中力の持続からすると森の中とは比較にならないのです。ここにいつも自然と人工の違いを感じています。

 

それに加え、気になるのが、最近の付き添いでくる親御さんたちがいつもスマフォを手にしていることです。話をしている人、メールをしている人に混ざってゲームをしている人もいます。スマフォという便利な万能道具は、便利を飛び越えて人間に新しい危惧と不便をもたらしているように思えてならないのです。

子どもが夢中で遊んでいるところをしっかり目に焼き付けてあげればと老婆心がつぶやくのです。

 

 

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