もう一人の自分

2023年5月9日

一人の人間の体に一人の私が相場と決まっている。だかそうでないこともあることがしばしば報告されている。少し書き出してみる。

まずジキルとハイドという小説で二重人格が有名になって人間の表と裏が明るみに出てきた。人間というのは善人のような顔をして裏で泥棒や、人殺しやスパイをしていることもある。言っていることとやっていることが全然違う嘘つきも表と裏の世界を生きている。政治家などは表と裏どこではないのでなんと表現したらいいのかわからない。

最近の多重人格はあまりに複雑で、未だ不明な点があるのでもう少し勉強してから書くことにする。

そのほかには影法師がある。影法師は普通は単なる自分の影のこととして使われるが、宗教などが扱う霊の世界に目を向けるとそれ以上の深い意味があり、ドイツ語ではドッペルゲンガーと呼ばれ、そこでは意図的に使い分けられない深刻な自分の姿が明らかにされる。死ぬと人間はその隠れていた自分と出会うらしい。それは別に小さな子どもが自分の影を見つけて遊んでいるところは、見方次第では自分発見の道とも言える。

統合失調症という病気は、一昔前は精神分裂という名前だった。どちらにして二つある何かが前提になっていて、それを統合できない弱い意志に焦点を当てると統合失調症となり、二つがバラバラの状態だと描写しているのが精神分裂ということになる。私の父が親代わりになって私たち兄弟と一緒に育てた従兄弟が成人してから精神分裂と診断されたので、十一年が離れているので子どもの頃からこの病気とは付き合ってきた。従兄弟を見ていると彼の中に何かが入ってきているような感じがした。従兄弟はそこから聞こえてくる声に悩まされていた。また現実とは別の映像も見ていて、医者は幻聴幻覚と処理していたが、その中身については何も言ってくれなかった。

良心の呵責というときの良心という言葉は人間の背筋を伸ばしてくれる働きがある。きだみのると言う一人の哲学者(実はファーブル昆虫記の翻訳者)が日本中を歩きながら、その土地に住む老人たちと話をしたことを報告した「気狂い部落」と言う本がある。その本の中にお百姓のおじいさんが「先生たちの言っているその良心というのは、あんたたちの中に住んでいる他人じゃが」と言うのがあって、若い時に読んで面白いと思った。

シュタイナーは寝ている時の自分と起きていると時の自分を分けている。寝ている時の自分は寝ている間に、生まれた時からその日までを逆行していて、自分を反省している。そして目を覚ましその日の行動をとるのだが、そこではやりたいことをする。逆行しながら反省している自分と、やりたい放題をやっている自分を人間は毎日やっていることになる。倫理的な人間と悪事を働く人間の二つを誰もがやっていると言うのだ。寝ている時人間は倫理的と言うのはなんだか嬉しい。それだから人間は寝ると元気になるのかもしれない。

 

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