今年はどんな年にしたいのか

2023年5月11日

誕生日というのは一つの区切りのようなものと捉えればいいのです。

誕生日を祝うなんて今の流行りですから、これもいつかは別のものに変わると思います。

昔はどうだったのかというキリスト教ではパトロンと言う、守護聖人が洗礼を受けるときに付けられて、その聖人中心にことが行われるので、誕生日も聖人の日と言う日になります。自分が生まれたことを祝うようになったのは戦後もしばらくして、経済状態が上向きになってからのことでした。誕生日とか、ヴァレンタインデーとか、クリスマス、復活祭などはエコノミー的お祭りだと言うことです。

 

今年はもう少しブログで書く練習をします。

書くのは面白いのですが、書きたい通りに書いているのかというと怪しいです。

考えないで湧いてくるものを書き写そうとしているのですが、うまく行ったりいかなかったりです。

自動手記のように乗り移ったものに書かせるのも興味ありますが、私にはその力がないので無理です。そうではなく、内側から湧いてくるものに忠実に書きたいと思っています。そうすると流れが生まれます。音楽のようにです。

 

シュタイナーは手で書くように言います。月の女神が手伝ってくれるのだそうです。丁寧に一文字一文字を書くと女神様が手伝ってくれると言うのです。確かに原稿用紙のマスに収まるように書いていると、背筋が伸び気が引き締まって、書くと言うことに流れが生まれます。この流れがコンピューターではなかなかな生まれないような気がしています。

万年筆で描いたり、えんびつで書いたり、2Bから6Bまでを使い分けたりしてみました。随分忘れていた感触で楽しいので、慣れるように書き続けてみたいと思います。手で書いていると体全体が参加しているようで、頼もしいです。

 

書きたいものが決まったら、向こう任せで書きます。

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