目標の秘密
目標を持って、と子供の頃よく言われた様な気がします。ところが私は目標に迎えない様な体質の持ち主で、いつも困っていました。自分で目標を決めてがむしゃらになるのができないので、周りからはぼんやりした本気になっていない怠け者と見られていた様です。でもやることは向こうからやって来た様です。
物事を成し遂げようとする時、大抵は目標なり到達点を設定します。個人的にも目標に向かって行くと言うのは普通です。もちろん政治的にも目標を持たせることで民衆を動かしやすくなります。旧ソ連では国家何年計画というものを打ち出して、生産性を高めるように民衆を煽り立てていました。社会主義の国には行きたくないとその時思っていました。
人間は目標に弱いのでしょう、何人かの人と共同作業をするときには、目標を立てるのが結束を強めるのに手っ取り早いものです。しかし目標を立てると言うのは、どこかに人間を機械化するようなところがあることは否めません。社会はノルマと言ったものを導入し、人間をどんどん機械化している訳ですから、目標で縛って流れを作るのが今風で効率がいいのかもしれません。
目標を持つのがいいのか悪いのかはわかりません。私のように目標が苦手な人間は持たなければいいし、好きな人は目標を立てて頑張ればいいしと言うところでしょうか。ただ目標を持たないで生きたらどうなるのでしょう。ノルマや機械化から脱皮して人間らしさを取り戻せるのでしょうか。それとも大海原を漂流している丸太の様なもので、波に任せ当て所もなく浮いているだけなのでしょうか。どちらになるかは人によって異なると思います。一つ気になるのは、社会で名をなそうとしている人たちの陰にいるニートと呼ばれている人たちがいます。彼らにとって目標はどのようなものなのかと言うことです。人生の目標の様なものは多分ないと想像します。社会から取り残されて恋をすることもないのかもしれません。結婚も家庭も目標ではないのでしょう。しかし人間関係は謎に満ちています。いつ何時、何がおこるかわかりません。ガツガツと目標を探し回らなくても、向こうからやってくるものもあります。
人間は丸太が浮いているのとは違うものです。ただぷかぷか浮いているだけとは想像できないのです。人間は案外人間以上のものなのかもしれません。そこは目標がないところの様な気がします。