時間が懐かしい
子どものことろのことを思うと、ゆったりした時間があって、その中を大人たちも生きていたようです。
風景もさることながら、時間の流れが今とあまりに違うのに驚きます。
今と昔と何が変わったかと言って、時間の流れほど変わったものはないと思います。
タイパと言う言葉を聞いて背筋が寒くなりました。タイパって聞いてすぐ思い出したのがコスパでした。どちらも効率の良さをねらっています。どちらも現代の中で大きな口を開けている落とし穴で、どこか倹約、節約というものにつながるものを感じます。そもそもの基本は人間のけち根性から生まれたものの様です。人間からけち根性がなくなったら世界は色々と変わります。まず戦争がなくなり平和になります。あくせく、ガツガツしなくなることは請け合います。
タイムパフォーマンスなんてなかなか洒落た名前がつけられていますが、仮面を剥がせば悪魔の親戚です。学生の頃に大流行りしたマルクス主義も、当時はまたまだ深くは見抜けませんでしたが、この歳になるとケチからうまれた考え方です。搾取というのとタイパ、コスパは親戚どころか、二卵性双生児でしょう。
色々な人と付き合って、いい人、親切な人などと評価するのでしょうが、私はよくケチかどうかも見ています。
ただケチを露骨に出してくる人は流石に稀で、たいてはオブラートがかかっているのですが、「こう言うのってケチから来るのかなぁー」と何遍も繰り返していると、だんだん感覚が鋭くなってゆきます。そうなると仮面や、オブラートはすぐに見破れるものです。
社会問題の大半が、人類がケチを克服したら解決するのですが、ケチの克服は相当難しいものですから簡単にできる様なものではないので、社会問題も未解決のままこの先も長く続くでしょう。
バカにつける薬もないですが、ケチにつける薬というのもまだ発見されていない様です。
なんでも早くがモットーになると、ビデオで見る映画は倍の速度で見る様になります。ありがたいことに音楽の場合は流石に速度を変えることはできませんから、YouTubeなどでは最後まで聞かずに途中で切られてしまう様です。
なんでも早くともっともっとと言うのは表裏一体です。たくさん欲しがるのは子どもの特権かと思いきや、最近ではいい年をした大人までもが、もっと情報を、知識を、たくさんのコンテンツをと喉から手を出しています。きっと大人になりきれていない未熟な大人たちなのでしょう。インファンティリズムは成人しても幼児のままというもので、成人しきれないと言うのは現代病なのかもしれません。
確かに子どもは小さければ小さいほど時間とは無縁に生きています。「もういくつ寝るとお正月」は子どもにはわからないことです。一回寝て目が覚めたら、全然違う世界にいるのです。
ドイツに来たいと言う人がいると、ドイツに流れている時間を感じにきなさいと勧めます。それを感じられたら名所旧跡を何百見るよりもドイツの本質に触れることができると思います。日本に帰ってもその時間の流れが懐かしいものになっているはずです。