本当と嘘
本当と嘘の間には何があるのだろうか。
本当と嘘の間のハイブリッドと考えることもできるのかもしれませんが、私は何もないと思っています。
そもそも本当と嘘と二つに分けられるものなのかも今はわかないようになってしまいました。周囲を見渡すと本当のような嘘ばかりが蔓延しています。
一方で嘘としか思えないものがよくよく考えると本当だったりすることもあります。もちろん後者のようなチャーミングなサプライズは極めて稀にしかお目にかかれませんが。
たくさん本当のことを言っている人は、反対側にたくさん嘘を持っているものです。お元の顔と裏の顔です。善人ぶっている人の腹黒さのようなものです。
宗教の世界に入ると善が全面に出てくるものですが、それが宗教の弱点でもあると私はずっと考えています。
倫理は宗教ほど極端ではなくてもやはり善の方に強烈に偏っていて、倫理を解く人たちの常套文句は「・・すべき」「・・でなければならない」で、私はこれを聞かされると、生きる力がだんだん萎えてきて、しまいには元気がなくなってしまいます。
別に悪とかマイナスなネガティブなものを礼賛しているわけではないのですが、善も悪も誰かが勝手に決めた基準で話をつけているだけのとで、どこにも根拠がないことなのです。
この二元論はヨーロッパに端を発しているもので、そもそも東洋的な考え方にはなかったもののようです。安易な合理主義だと思っています。そもそも合理主義が人間を機械化するための最大の原因でしたから、本当と嘘というのもそうした本流から分かれた小さな支流に当たるものかもしれません。
本当と嘘という色眼鏡を外してみると、きっと何か今までとは違ったものが見えてくるのではないのでしょうか。
ありのままというものかもしれません。
嘘がなかった