暖かい音色、暖かい言葉

2023年10月20日

音楽は心を癒すということになっています。このことは多くの人が実際に経験しているもので、今さら説明の与太などないものでしょうが、私の経験から一つだけ余計なことを加えると、音楽より音なのではないかと言うことです。

同じ音楽でも演奏によってずいぶん違います。癒やされるものと癒やされないもがもあります。そうなると決定的なのは音楽というより演奏されている音ということのようです。

リラックス、ヒーリングを意図して演奏されたものは大抵退屈です。私が考えるには演奏に緊張感がないからです。癒してくれる音は、癒すぞと狙ってくるような音ではなく、演奏者が全身全霊をこめ全力投球したものに限ります。ただ演奏者がどこに向かって全力投球しているのかが問題で、自己表現をしようと頑張った演奏は嫌味が強く、聞いていてかえって疲れてしまうものです。

無私であることが大事で、作品を聴き込んで言わんとしているところを聞き分けなければならず、これは、実は、練習によって培えられるものではなく、持って生まれたセンスによると考えています。こう言って仕舞えば゜身も蓋もなくなってしまうかもしれないのですが、相当言えていることなのであえて言います。

センスの多くは生まれ月と言っていいわけですが、もちろん練習次第で獲得することもできるものであることも付け加えます。ただ技術の練習からでは得られません。

センスから生まれるものの一つは、暖かさです。

音楽を演奏するときに一番難しいのかこの暖かさだと私は思っています。間違わずに正確に演奏することは練習から得られます。音楽の表現力も技術的なものですから、練習の賜物と言えます。しかし暖かさは、練習を凌駕したもので。その上にあるものです。

かえって練習をすることで、特に偏った練習し過ぎることで、演奏が硬くなってしまい、その結果冷たいものになってしまうことがあります。

私がよく引き合いに出す二十世紀を代表するチェリスト、エマヌエル・フォイアマンは本当に暖かい音で演奏します。ゆったりとした伸び伸びとした暖かさです。彼の演奏技術は東大随一のずば抜けたものであることは演奏を聴けばわかるのですが、決して演奏技術が先行することはなく、いつも、どこまで行っても音から暖かさが消えることはなのです。ユーモアたっぷりの彼の魂が迸っているのです。

ここで言っている暖かさは、音楽に限ったことでなく、芸術全般に言えることです。絵にも暖かい絵と冷たい絵があります。切花を生けても、暖かい雰囲気を作れる人と、形にこだわっているだけの冷たいものがありま。美しく立派に活けられていても冷たいものは冷たいのです。言葉も意味を先行させる人の言葉、正しいことを言っているつもりになっている人の言葉は大抵冷たいものです。正しくと言うことに囚われると、どうしても冷たくなってしまうものです。言葉の暖かさがどこから来るのかの研究はほとんどなされていないですが、言葉は魂の奔りです。魂のしずくのようなものです。ですから必ず暖かい冷たいの違いが出てくるものです。落語や講談にも温かみは欠かせないものだと思います。長い落語などは噺家の言葉が冷たいと聞くのが辛いものです。話芸というものはきっとこの暖かさを持っているかどうかによって決まるもののようです。

 

 

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