新田義之氏への感謝

2023年11月24日

十月二十一日新田義之氏が他界されました。

心からご冥福をお祈りいたします。

 

新田義之氏は人生の全てが興味の対象だったのではないかと思われるほど、研究対象は多岐に渡っています。今日はその中でも、シュタイナーの人間一般学を最初に翻訳された人物として取り上げてみたいと思います。

シュタイナーの一般人間学は執筆されたものではなく、喋り言葉を速記し講演録としてまとめ残されたものです。シュタイナーの七千回に及ぶ講演の中でも、特に力の入った講演録で、これから作り出そうとしている学校への熱意に満ち溢れています。それゆえに盛りだくさんの内容がぎっしり詰まっていて、ある時は秩序だって、ある時はまるで青天の霹靂と言わんばかりに言葉が降ってきたような語り口ですから、翻訳として別の言語に移されたときには混乱の元になるわけです。。

昭和五十年頃から毎月一回の一般人間学の読書会が、江ノ電の鵠沼の新田ご夫妻のもとで行われました。一ヶ月の間に講演を一つ訳されたのですから、大変な仕事だったわけです。今新たに思い返してみると、それを可能にしたのは大変な語学力と翻訳力であったわけで、驚かされます。

翻訳はいろいろな方法がありますが、新田義之氏の翻訳は、ドイツ語を日本語に限りなく正確に移そうとしたものと言っていいと思います。日本語で読めるドイツ語という感触もあります。しかしシュタイナーがどのようなスタンスで話をしていたのか、それが正確に伝わってくるものですから、教育に興味のある人に限らず、翻訳という仕事からみても優れた仕事であることに間違いありません。

私はドイツ語と日本語で読めるため新田義之氏の翻訳の技を高く評価しています。同時に優れた翻訳として堪能しています。ただそれが一般の読者にとって必ずしも読みやすいものでないことも現実で、随分前から折あるごとに、日本語として読み応えのある翻訳をしてほしいと言われる所以でもあるのです。個人的には、シュタイナーの翻訳はできれば訳者の思い込みが混ざった意訳よりも、原文に忠実な直訳がふさわしいとは思っているのですが、これはシュタイナーを専門にしている人に限られたことなのかもしれません。日本語で読んで日本語からのインスピレーションを得ることも大切ですから、日本語の自然な流れを持った翻訳が一つあってもいいのかもしれません。そのためにはドイツ語と日本語に深く通暁していないとならず、言語学者先生方の学問的言語では達成できないでしょうし、あまりに饒舌な日本語ではこれまた翻訳の正確さから逸脱してしまう恐れがあります。この間のバランスを取れる人が出てきてほしいものです。

最後に新田義之氏の翻訳以外からの文章について触れてみたいと思います。「中学生が読んでも分かる様な日本語」ということをよって言っておられました。もちろんご自身のお書きになられたものなどは、まさにそれを実践しているもので、誰が読んでも、澱みなく読みやすい文章です。なぜこの文章感覚を翻訳の時に発揮されなかったのかと不思議でなりません。やはり言語学者としての良心が、翻訳の正確さを重視されたからなのでしょう。

新田義之役の一般人間学は二つあります。一つは四十年ほど前に出されたものです。それと、その後読み直されて訳し変えた、いわゆる改訂版です。二つを読み比べる作業も、この講演録を深読みすることになる一つの方法かもしれません。

 

 

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