「軽み」は軽薄なことなのだろうか

2013年1月6日

今、五月の録音のための準備をしているのですが、いやはやライアーの難しさに直面しているのが現状です。

何が難しいかというと、ピアニッシモで緊張を作るというところです。シューベルトは一番言いたいことを眉宇にっしもで語りますから・・

ライアーに限らず、音楽が難しいのかもしれません。いやそれ以上に人生がです。神様というのはなかなかの芸達者だと思うのは、人生なんて物を生みだしたからです。

特に難しいのは人生をピアニッシモでやることです。人に見せびらかしたり、得意になったり、これ見よがしに見せたり、自慢したりという様な事をしないで、だんだんとピアニッシモで生きるのはなかなか大変です。

 

難しいと言って満足する方法があって、今の時代はそれに翻弄されている様なきがします。みんな難しいことを好んでやっているのです。あるいは人がやっていることをことさらに難しそうに見せているのです。

なんだか付き合いに食い世の中になったものです。何も眉間にしわを寄せて難しい顔をしてやらなくてもいいのですよ。

 

ここ二回ほどフォイアマンにみなさんを付き合わせてしまいました。実はまだまだいい足りないのです。氷山の一角がこの間の文章です。

フォイアマンは「軽み」を知っている人です。彼の演奏する「しじま」、「森の静けさは」本当に森の中にいざなってくれます。森の空気が感じられます。森で歌う鳥の声が聞こえて来ます。散歩している人の足取りもです。木々の語りあう声も聞こえてきそうです。何故でしょう。

こんなことは他の演奏家ではないのです。みんな一生懸命に弾いています。眉間にしわを寄せてです。でも森の何も聞こえてこないのです。みんなパフォーマンスだからです。表現しようと必死になっているのだけは伝わりません。こちらには彼らが一生懸命演奏していることしか伝わって来ません。ご苦労様です、とは言えますが、それだけでこの曲が言いたいこと、ドブォルザークがこの曲に託した物はどこに行ってしまったのでしょうか。

 

音楽をするということが、こんなに形だけのものになってしまっいいのかと思っています。

少なくとも自分だけはそこに陥らない様にしようと思っています。どうしたらいいのでしょうか。

 

あのフォイアマンの持っている軽みはどこに求めたらいいのでしょうか。

フォイアマンは自分が演奏していることをどう思っていたのでしょうか。

彼は練習嫌いで有名です。でも彼は子どもの頃の毎週のレッスンでは難しい曲を簡単にこなしてしまったということです。生まれつきチェリストなのでしょう。そう言う人っていますよ。どんな分野でも。彼にしか弾けないという曲もあると聞いたことがあります。

それはさておいて、フォイアマンの様な「軽み」が今は音楽界に絶対必要です。

フォイアマンの音は彼が弾いた瞬間に彼の元から離れて行きます。これがいつも驚かされるところです。彼は自分の音楽、音を所有物にはしなかったということです。彼を通して生れた音はその瞬間に空間に、宇宙に消えて行きます。たとえレコードに録音されていても、その音は毎回消えて行くのです。本当に不思議です。

 

では無責任に演奏しているのかというと違います。徹頭徹尾フォイアマンの音なのに彼のものではないということです。フォイアマンはフォイアマンの音楽を作らなかった、そう言うことです。パフォーマンスではなく、彼を通して音楽が流れて行ったということです。奉仕です。彼は音楽に彼そのものを捧げているのです。そうとしか思えません。

それは信じ切った姿です。信じ切った人の持つ「軽み」がフォイアマンの軽みです。

ちょっと信じるのは誰にでもできますが、心底信じるというのはなかなかできることではありません。相当修行を積まないとできないことなのです。信じた人は軽いです。

 

今の時代は鬱病が蔓延していると聞きます。みんな重いのです。「軽み」の反対です。みんな、なんでも片っ端から自分の中に取り込んでしまっているのです。それでは重たくなってしまいます。心も体もです。手放さなければ駄目です。そうしたら軽くなります。

あるいは信じることです。神様を心底信じるのは難しいものです。そのためには本当に大変な修行が必要です。

神様を信じ切れるひとなんてそんなに居るものではありません。でも自分自身は信じられると思います。誰にも迷惑をかけるものではないので、これはお薦めです。

自分だけでも信じてみると、すこし軽くなります。明るい自分が見つかればもっと軽くなります。そして自ずと笑いが生まれます。

 

フォイアマンの音楽は、音ははいつも笑っています。彼は明るい性格の人でしたからいつも周囲の人を笑わせていたということです。さもありなんです。これは生きることの極意だと思っています。

万葉時代は、花が咲くことを「わらう」といったそうです。

みなさん笑ってますか。

今年は是非昨年以上に沢山笑ってください。

これが私からの新年のご挨拶です。

 

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