一般人間学を講義するとしたら
もしその気になったとしたらの話です。
そのときはマンツーマンがいいのではないかと思っています。講義とは言っても雑談になるのではないかと思っています。いわゆる講義スタイルでは頭がこちこちになってしまい直感が働かないですから本末転倒です。
お茶でも飲みながら、ゆったりとそれとなく始めたいですね。マンツーマンですから出席を取る必要もありませんし。
どなたの翻訳された一般人間学がそこに相応しいかと考えると、やはり新田義之氏のものがいいと思います。日本語としては決して読みやすいものではないですが、シュタイナーのドイツ語がとてもよく伝わっています。
シュタイナーはとても言葉のできる人ですら表現に一工夫も二工夫もしています。簡単なことでも普通には言わなかったんです。きっと、聞き手に油断させないようにと話しているのです。用を足しているだけの箇条書きの真反対のような言い方です。ですからそれを日本語に訳したら、それこそ大変なことになってしまいます。実際に大変なことになっているのは、みなさんがよくご存知です。
一般人間学の醍醐味は、よくわからないことです。こんなことが教育のどこに関わるのかと思う様なことばかりの連続です。しかし裏を返すと教育とはそのくらい教育的ではないものだということだと言いたげです。これがシュタイナーのユーモアでしょうか。
識者たちが教育を語るときには、勉強するものとは考えて発言していません。人間を丸ごと育てることが大事だと知っていのです。シュタイナーも倫理こそ大事だと講演の初っ端から言っています。
シュタイナーは子どもが自然界、人間社会のことを学びながら、自分自身の根幹を育てるような方法を編み出したのです。学びながら人間を育てるという妙技です。なかなか考えつかないことだと思います。まさに一石二鳥です。一見教育に関係なさそうなことを言っていながら一番本質をついてきているのはさすがです。そこにもシュタイナーのユーモアを感じます。
シュタイナーが話を聞いている人たちをどの様な眼差して見ていたのかが気になります。当時会場にはほんの一握りの人しか参加していなかったのです。マンツーマン+アルファーです。