クレプトマニア、盗癖について

2023年12月23日

盗癖、クレプトマニアというのは、スーパーマーケットに行って、レジを終えて外に出ると、知らないうちにお店のものがポケットに入っていたりするということです。盗むという意図が働いているのではなく、さらに深刻なのは本人も気が付かないでいるという状況で普通にいう盗みがおこなわけてしまうということですから、お店も大変ですが、本人にとっても悩みの種なのです。

ということは、もともと人間の中には「盗んではいけない」という本能のようなものがあって、クレプトマニアの人たちにはそこが機能していないということと解釈できます。

盗んではいけないという規制が、つまり所有感覚というものが、視覚とか聴覚のように人間にはあって、本能的にですが知っているのかも知れません。例えば「これは私のもので、あれは私のものではないという、境界線を本能的に引いているから生まれるもの」のようです。自分と、自分ではないもの、つまり他人との間の境界線です。

シュタイナーも盗癖、クレプトマニアについて言及しています。頭というのは主に知性の働く場所だとはいうものの、よくみるとそこにも意志や、それに伴って生まれる感情が共存しているものなのに、クレプトマニアの人たちの頭は知性が支配してしまっているというのです。そしてそれが盗癖につながるというのです。そうなると境界線を引いているものは、意志や感情というもので、知的人間には境界線がなくなってしまうということのようです。他人のものは盗んではいけないというセンスは意志によるものだと考えているのです。頭が知性でいっぱいになって、石が入り込む余地がなくなってしまうと、境界線も弾けなくなってしまうのです。そして盗みが知らず知らずのうちにおこなわれてしまうということです。

 

 

今日の政治の動向を見ているとどこに境界線があるかがわからない有様です。これをただ政治の問題として切り離すのではなく、ギリシャの哲学者アリストテレスが見抜いていたように、政治というのは人間の持つ属性ということとすれば、今の政治が見せている姿はクレプトマニアに非常に似ていると言えそうです。ただクレプトマニアは意識できないところで境界線を越えて盗みにつながるのですが、今の政治には隠された意図がある点で少し違っていますが・・。

しかし今の社会に他人の領域に踏み込んでゆくことを阻止できる意志や感情がないという点では、よく似ています。頭が知的人間に成り切ってしまったような冷たさが感じられます。

今の情勢を食い止めるには知性ではダメだということです。知性て整理しようとすればするほど悪い方に向かってしまいます。知的人間が蔑んでいる意志や感情的なものが人間の中に再び目覚めることが望まれているのだと思います。

 

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