クリスマス雑談
いまヨーロッパはクリスマスです。
きっとこの言い方は不自然に聞こえているはずです。
クリスマスと言うのは実はイエスの誕生から十二日間を指すものなのです。キリスト教の救世主イエスの誕生を祝うお祭りであるクリスマスイヴの十二月二十四日から、一月六日までです。この日は東方からの三賢者がプレゼントを持ってイエスの生まれたところに辿り着いた日でもあり、イエスが三十の時にヨルダン川で洗礼を受けた日とも言われている日までを指してクリスマスとしています。
クリスマスプレゼントというのは今では大きな社会現象ですが、そもそも三賢者がプレゼントをイエスのもとに持ってきたところから来ているものかも知れません。今日の商業主義はそこに目をつけ、プレゼント競争を作り出してプレゼントの交換のためのお祭りというところにフォーカスを変えてしまいました。クリスマスと言うと。今日ではそちらの印象の方が遥かに強いものですが、本来は質素なプレゼントだったのです。商業という立場からすると、特に現在は商業中心の世界ですから、大変な消費が見込まれるため、だんだんとプレゼントが派手になって来ています。
ということで、宗教的である以上に商業的なプレゼント合戦が飛び交うのか私が住んでいるドイツのクリスマスの現実です。日本では宗教的な要素がすっぽり抜けています。
プレゼントそのものは人間的で、喜ばしいものと感じていますからなんら疑問がないのですが、あまりにも形式化されたプレゼント交換劇は派手すぎるパフォーマンスなので、いささか不自然で、本来のプレゼント精神の枠を超えているように感じてしまいます。
クリスマスは宗教儀式です。しかしキリスト教以前からこの日は冬至と深い関係のあったようなのです。
十二月二十一日の冬至の後三日間、夜の長さは同じです。そしてクリスマス明けから昼の長さが一日一分くらい伸びてゆきます。イエスは一番昼の短い暗い日に生まれたのです。実はイエスだけでなく、古代ギリシャの宗教ミトラ教の教祖様、ミトラスもおんなじ日が誕生日です。エジプトのトト神もやはり同じですから、昼が一番短い冬至は宗教的に深い意味を持っている日と言えそうです。
ストーンヘッジや古い巨石の文化も冬至や夏至を特別なものと感じていて、その日を表す配置が見られますから、冬至の日には厳粛な儀式が行われたに違いありません。しかしなぜクリスマスや他の教祖様の誕生が一年で一番昼が短かく夜の長い日が選ばれたのかということが気になります。理由は、夜が長いと言うことで暗いというイメージに支配されます。真っ暗をイメージしたのです。その暗さの中に光が生まれるという闇と光のコントラストです。光が一番印象的に感じられるわけです。これは内面的な修行にまで及び、真っ暗な中に光を見つけようとするわけです。人間はその光を心の支えとして生きて行けるのです。
その十二日の真ん中ほどのところに大晦日が来て新年が来るという仕組みです。ドイツは花火で盛大に新年の始まりを祝います。日本は大晦日から元旦にかけて初詣に行きます。主に神社に行きます。お寺さんにゆく人もいます。神社では特別なことはありませんが寺院では除夜の鐘が撞かれ、百八の煩悩を振り払うようです。
何事にあっても始まりというのは暗い方がふさわしいのでしょうか。段々と明るくなってゆくというのが発展につながっているのでしょうか。