明けましておめでとうございます

2024年1月2日

私のブログの読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年一昨年は母の死、それに伴い両親の家の処分のことなどで振り回されてしまい、講演ツアーのようなものはできませんでした。その前のコロナによる中断を含めるとほぼ五年ほど講演会をしなかったことになります。

その間に私の会を主催してくださった方たちにも変化があり、今は正直講演ツアーのような動きは開店休業と言えます。これから何かが復活することも考えられないでしょうから、単発で何かをすることはあっても講演ツアーのようなものは事実上今年を最後と心しておくことだと考えています。

そうした覚悟を含め今年も日本にゆきます。家の整理を含め、お世話になった方達へのお礼まわりなどを考えています。二月始めから三月の二十八日まで日本に滞在し、その間の三週間を講演会、声のワークショップに当て。希望されるところをお邪魔しようと考えています。せいぜい十件ほどが限界だと思います。希望を出されていないところは、すでに枠が少なくなっていますが、急いで私の方に連絡をください。まだ日程調節できる範囲にあります。

 

さて年が明けたばかりでまだ足音は初々しいですが、確実に一歩を踏み出しています。こうして今から毎日365歩前に向かうと一年が終了して次の年にバトンタッチになります。皆さんがしっかりした歩みをされますよう心がお祈りいたします。

このように考えられるのは、時間というものが前に向かって進んでいる、つまり時間ば過去から未来に向かっていると考えるからで、そこから自然と生まれて来る考えです。実際それ以外は考えられないようは思いますが・・。

ところが、本当に時間という代物はそんな単純なものなのかどうかってよく考えるのです。もしかしたら時間は後ろから前ばかりではなく、未来からこちらに向かってやって来ているのかも知れない、と考えることは珍しくないのです。

現在と言うのは、過去の集大成とかカルマの総精算とかと解釈してもいいものかどうか私には疑問です。因果関係という捉え方もあります。全てのことは過去に原因があると言う考えです。一見仏教などの考えのようにみられますが、仏教的に言うと時間は未来から流れているものでもあるので、因果応報とかカルマという形で、現在の人生を過去に縛り付けるのは必ずしも仏教的とは言えないのです。むしろ西洋哲学的な時間の解釈は全て過去から未来へと向かう時間一本槍です。そうすると今日言われている時間の捉え方の大半は西洋思想から生まれた時間の概念であって、物理や心理学、生理学などを含め全てが整理されていると言えるのです。

私たちが過去のしがらみから解放されるとどうなるかというと、過去が集積している潜在意識とかいうものからも解放されることになります。トラウマというものも考え方が変わって来ると思います。

まず私たちがしなければならないのは、未来に向けて心を開くことです。簡単にいうと未来を信じることです。未来は過去の総精算ではないからです。未来は私たちに向かってやって来ているものなのです。

私たちは二つの時間を生きているのです。実はシュタイナーもこの観点から時間を説明しています。未来と過去をこのように整理できて初めて現在という不思議な時間の意味が理解できるのです。過去からのものだけで整理したら前につんのめってしまうのではないか、そう思います。今の自然科学の傾向はそのようなものだと感じています。

特に自分が欲しいものをがむしゃらに欲するようなタイプの人の時間は過去から未来に向かって流れている時間だけです。未来からやって来るものがたくさんあることに気付いていないのです。そんな当てにならないものなどは信じるに足りないと言わんばかりです。しかしいろいろなものが未来の向こうからやつて来ますよ、とのんび構えられたら、人生のびのびとして来るように思うのですが。

 

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