今日の日よ
ドイツの楽器作りの工房を尋ねると、そこには日本のノコギリをはじめ、鑿、鉋と言った、私たちに馴染み深いものがそろっています。「一度使ったら元には戻れない」と口を揃えて言います。
台所で活躍する包丁、風呂が使う包丁は日本製が目立ちます。かつては「ドイツのゾーリンゲンには日本刀の伝統技術が生かされています」なんて広告されていましたが、今はそんなものはどこ吹く風と、日本の包丁が世界の台所を闊歩しています。
日暮里には繊維横丁があり、そこには外国からの旅行者も多く見かけます。彼らの多くはプロの仕立て屋さんで、日本のハサミ、和鋏と裁ち鋏を買いにわざわざきているのです。
ドイツは園芸の国ですが、そこでも日本の農機具、園芸器具は大人気です。剪定のための鋏、枝切り鋏などのよく着れるものは日本製となっています。
今ことを並べ立てているだけだとMade in Japanを賛美しているだけで終わってしまいますから、ここではもう少し深掘りしなければなりません。
道具という観点から眺めることにしましょう。
道具のことをヨーロッパの言葉ではインストロメントと言います。医者が手術の時に使うメスはインストロメントです。音楽家が演奏の的に使う楽器のこともインストロメントと言います。そもそもの意味は「何かを仲介する」ということです。
ヨーロッパの言葉の基本は、文章に一つの主語と目的語があるということです。それを結びつけるのが動詞です。必ず動詞が必要で、主には行為としての動詞なのですが、状態を説明するためにも動詞が必要で、そのためにbe動詞があります。
動詞が目的語を必要としています。行為の対象を目的と定めます。今日の英語は単刀直入に、主語一つと目的語一つというパターンですが、時々変形が見られます。「私が君にブレゼントをあげる」と対象が二つに分かれる時です。
このように対象がいくつもの働きを持っているのがヨーロッパ語です。言語学的にはインドゲルマン語と言います。古いのはサンスクリット語で、この言葉は行為の対象を八つに分けて言い表していたのです。その一つにインストロメンタリスと呼ばれる「格」がありました。「ニラかを仲介する」という役我です。
これは現代語の中にも残骸が見られます。「今日」という言葉です。ドイツ語ではheute、英語ではtodayです。この前半のheuとtoがインストロメンタリスの名残なのです。厳密な意味は「ある一日を介して」という意味です。と言うことは、今日というのは道具なのです。人生のための道具なのです。今日という道具がなければ人生を作ることができないのです。
そして大事なことは、今日というのは、昨日の続きなどではないということです。今日、つまり毎日はそれぞれに独立したものなのです。独立した道具なのです。あまりに唐突でついてこられないと言われてしまうかもしれませんが、今日という一日は二十四時間の塊ではなく、人生を作るための道具なのです。医者がメスを必要としているように、演奏者が楽器を必要としているように、人生という生き物は一日という道具を必要としているのです。それが今日、heute、todayは立派な道具なのです。今日という一日が道具として使われることで、人生が作られると考えていいのです。
道具への興味はものづくりが前提しています。ものづくりに興味のない人は道具にも興味がないものです。人生を作るという観点から捉えないと、人生は既製品のようなものになってしまいます。今日という一日は道具としてきたらいているのです。そうでないと今日というのは、過去、現在、未来という「時間の流れのシステムの一員」でしかなくなってしまいます。二十四時間り時間の塊ということになります。しかし一日は道具だと考えられるようになると、人生を捉える視点が変わってしまいます。そして今日という一日の使い方が変わってきます。人生が生き物のようになります。
日本に息づく道具作りの伝統。なぜ道具にこれだけこだわるのかは、日本文化からしか答えが出せないかもしれません。というのは他の文化にはこれほどの道具作りへの情熱が見られないからです。ドイツと日本が似ているのはどちらにも物作りへの情熱があるところです。しかしドイツの物作りは機械作りです。ものを作る道具を作るための機械ですから、いわゆる重工業の分野です。手工業、手仕事の妙味、そのための道具作りがどこからきているのか、もしかしたら「何か」を仲介しているのです。何なのでしょう。