外国語の発音、母音と子音
外国語の発音は文法を理解することなどより難しいかもしれません。文法はゆっくり机の上で整理できますが、発音はいつもライブなので、やり直しが効かず、その時にしっかり発音していないとならないからです。でもだからと言って文法が易しいということとは違います。文法の骨組みを理解すると言葉は飛躍的に上達するものです。
いい発音で外国の、つまり自分の言葉ではない言葉をきれいに喋っている人をみると羨ましくなります。バイリンガルという人たちでも二つの言葉を正確に発音するというのは不可能に近いものだと言います。どちらか一つにどうしても訛りが聞こえてしまうのだそうです。
日本人ばかりでなく、同じヨーロッパの言語の間でも、ネイチャーのように発音するのは難しいものです。最近はドイツ語の中にも英語の単語がずいぶん入り込んできています。それを英語らしく話そうと頑張っているドイツ人の英語を聞いていると強ばっていて、疲れてしまいます。時には滑稽でもあります。
成竹近い発音を身につけようとすると、私の耳に聞こえるのは、子音を注意深く研究して、なるたけ近い発音にしようとする傾向があるようです。子音だけ聞けばそれらしく聞こえるのですが、問題は死因はいつも母音と組まれていることです。
重要なのは母音の方だと私は考えています。日本語は五つの母音からなっています。ところが英語となると文字で書けば「a」ですが音としては少なくとも三つの違った音があります。そこを正確に発音し分けるのは難しいのですが、子音の真似の方に気を取られていると、母音がいい加減になってしまい、折角研究した子音が効力を発揮せず、台無しになって聞きづらいのです。
発音の根幹は母音です。これは相当確信しています。母音がきれいに発音できるようになるというのは、その言葉の命に触れることです。子音を真似しようとするのは、そっちの方が手っ取り早いからです。日本にはRとLの区別がないので、そこにコンプレックスが集中していますが、母音をしっかり発音していればその問題は薄れてしまうものです。
母音の発音は蔑ろにされやすいですが重要なものです。人間のに例えると、優しい笑顔が母音で、利口そうにして顰めっ面が子音です。笑顔で語れば、聞き手は好感を持ってしっかり聴いてくれているもです。想像以上に相手に伝わっていたりするものです。顰めっ面で話したら、話の内容が立派でもそっぽを向かれてしまうのです。折角のいい話も相手に伝わらないのでは何のために話をしているのかわからなくなってしまいます。
日本人が話す日本語を聞いていても母音に力みがある人の話は疲れます。昔アナウンサーを養成する人と話をした時にも、母音が大事と言っていたように思います。母音は子音と違って知的ではないのですが、母音にはその言葉の、そして話し手の心が響いているからなのでしょう。