私の自伝というのか四方山話

2024年1月15日

先日来何度かブログで伝記や自伝のことを書いていたら、ライアーゼーレの小沼さんから「私がピアニッシモで書いたものをムック本で出したい」と言われたので、そのタイミングにびっくりしました。

以前ピアニッシモとに連載されていたものを編集したものです。すでに編集されたものが送られて、読み返しているのですが、ブログで嫌味を言ったような、自伝本来の体裁をとっていないので、安心しました。読んでいると自分のことなのに親しみが湧いてきました。自分で書いたことなのに、不思議に読んでいて恥ずかしいという気持ちにはなりませんでした。編集の方は自伝と名付けていますが、私の周りの人たちのことをさらりと書いているので、環境自伝、四方山話といったものです。

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今は歩んできた人生を振り返る年齢になりました。人生の初めの二十代、三十代の頃のことを思い出すと、今とは違う景色が目の前に広がっていました。そこの頃に偶然にも色々な占い師との出会いがあったのです。人生のこともよく分からず、それを占うということも理解していませんでしたが、乞われるままに誕生日を教えました。その中の西洋占星術の方から、「特に目立ったことのあった時を言ってください」と言われ、「十四歳と十九歳の時が大変でした」と言ったら、星と太陽と月の位置関係からはっきりみて取れると言われました。十四の時は人生とぶつかり破裂して、十九の時は自分は白痴ではないかと思い始めていたのです。人生のどこにも焦点が合わないのです。世の中の何の役にも立てない人間だと決めた頃でした。その時占ってくれた方に「占いって当たるものですね」というと、「過去はね。でも白痴で済んでよかったですね」と言っておられていました。

若い時に、占いで「あなたは総理大臣になります」と言われてそれを目指したらどうなっていたのでしょう。相当の確率で私の人生は狂っていたと思います。人生には無我夢中が一番似合います。

少年よ大志を抱けというクラーク博士の言葉や、人生に目標をもてという先人たちの言葉はそれでいいのですが、人生の予定を旅行のように組んでしまっては人生に申しわけが立ちません。頭で整理した人生設計は危険ですし今の時代には通用しないものです。

これからの人生は社会が混沌とする中で波瀾万丈になるでしょう。何があってもそれれを受け入れることしかないのです。そのためには勇気を作るのです。大変な時には勇気だけが支えになるものです。訳のわからない勇気でいいのです。そんな勇気が必要なのです。勇気は魔法ですから、人生の今を未来に向けてくれます。

今が宿命なのか運命なのかわかりませんが、どんなにとんでもないことでも、もしかしたらそれで正解だと言い放てるのは勇気を持った人だけです。

人生に答えはないのです。もしあると信じている人がいたらその人の人生は人生ではないでしょう。整理され仕組まれた人生はプログラム化されたロボットのようなもので、脳の皺も、顔の表情ものっぺらぼうになってしまいそうです。

もしかしたら今増えつつある人種かもしれません。

 

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