声のワークへようこそ
今回は、一月に患ったインフルエンザの後遺症を引き摺ったまま日本に向かいました。その上にドイツの飛行場の保安管理の職員によるスト騒ぎに巻き込まれて散々でした。そんなこんなでやっと二月二日に羽田に着きました。朝日いたので時差ポケが長引いている中、今度は寒波と雪の洗礼に合い初めの五日の間は全くくたばっていました。
今回は多分最後になるツアーになるのではないかという思いでいますが、声をテーマに仕事ができるので今からとても楽しみにしています。思い返すと昔は随分声のことでワークショップをしたものです。なぜみんなは声に興味が持てないのだろうと正直不思議です。声に目覚め、声が変わると人間そのものが変わるのに、声をテーマすることはすっかり姿を消してしまいました。とても残念な思いです。今回は新しいアプローチで声をみなさんと一緒に声を見直してみたいと思っています。
さて、今日あたりからようやく自分の体の中にいる感触が戻ってきました。ここ何日かは本当につらく、イメージが頭の中を巡っていても、体がそれを受け止められなくて言葉にできないもどかしさでいました。そうなると何も書けないものです。私の場合、イメージにも声のようなものが付き纏っているため、それが言葉の声とうまく結びつかないと文章にならないという感じです。今回のワークショップのアプローチは、頭が知的なものを処理する場所とすると、声は身体で感じ知る直感という捉え方です。頭を中心に吸える生活習慣が染みついてしまった現代人から、頭だけでなく身体の方にも役割を引き渡すための力としての声という視点からのアプローチです。頭では知的に意識を鮮明にする訳ですが、声には身体に宿る意識を活性化する力があると言っもいのかも知れません。頭の知性と体の中の声という感じです。頭中心の現代生活はいろいろな弊害を人間にもたらしていることにも気付いてみたいのです。直感に目覚めることで今まで見えなかったものが見えてると信じています。
声は人間の意識全体が響きに変化したものですから、声に興味を持つと、声を聞くだけで他人の意識の状態がわかるようになるものです。人間観察が深まるということにもつながります。また声は発声練習でよくなるものではありません。意識を磨くしか方法としてはないのです。とは言っても意識というのはなかなか厄介なもので、手短なところでは自意識などというものがあり、難しいものでは無意識があり、幅広いものです。声と人間の意識の結びつきは、きっかけが掴めればすぐに理解できるものです。
最後に、最近とみにコンピューターの声が生活の場で増えていることにも触れておきます。YouTubeなどでは特にその傾向が顕著で、以前ほどではないにしても、陰影のないのっぺ棒な深みのない響きとして作られています。長く聴いているとイライラするのは私だけなのでしょうか。ただただ用を足しているだけで、そこには人間の温もりを感じさせるものはありません。声にはそもそも聞き手を温めるという働きもあるので、コンピューターの声だけでは人間生活は冷え切ってしまうのです。これからさらにコンピューターの声が増えることは避け難いのでしょうが、コンピューターの声でないものを聞く耳を持てば、わずかでも堤防の働きを担ってくれるのではないかと思って、声のワークを致します。