独学の時代

2024年3月10日

かつての天才と呼ばれている人たちは独学から生まれた天才でした。師と仰ぐ人はおらず、また前例のないものに向かってひたすら、黙々と励んでいったのです。協調性はなく社会性もなくと言った一般的な視点からは望ましくないものなのですが、そうした天才が歴史を前に進めていったのも事実です。絶対数からすれば少数派です。しかしこの少数派がAIの時代には裾野を広げるかもしれません。

AI、人口知能は人間に歯向かって来る怖いものように言われているようですが、対立でしか考えられない西洋思想から見るとそういう縮図が浮かんでこざるを得ないのでしょうが、それが惟一だとは思いません。私は、かえって今まで隠れていた人間の姿が明るみに出てくるような気がしています。

天才は教えられたことを学ぶ人種ではなく、とことん問い詰める人で、いつまでも問い続けられる人です。問うことで解を引き寄せる才能の持ち主と言えます。

しかし問うと言っても漠然と質問することはなく問いの中に解が隠れているような問いですから、そこにすでに天才の先天的な閃きが感じられるのです。

私達のこれから向かう未来は今言った天才型の子どもが生きやすいところであってほしものです。解に飢えた子どもではなく問うことにワクワクした子どもに溢れたところでです。

問うことの上手い子どもが伸び代を持った子どもと言うことです。

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