声の発見 その一
私の声の仕事は、講演のテーマだったり、ワークショップだったり、あるいは去年、一昨年あたりに随分ブログに書いたり、声についての講演をまとめた小冊子があったりとしますから、興味のある方はそちらも参照してください。
さて今回また声をテーマに取り上げるのは、去年今年とツアーの企画の中で声が再びテーマとして復活しそうだからです。
多くの人が声の事は素通りです。理由は、ただ興味が無いというのではなく、まだそこに興味が行かないということのようです。
そちらの方が普通だと思います。と言うのは、声は当たり前すぎます。
歩くのも同じです。歩くことを考えてみましょうと言われても、歩きはじめる前の子どもじゃあるまいし、いまさら何をと言うことになってしまいます。歩くなんて簡単なことです。別に人に教わらなくてもいいものです。
声もよく似ています。産声を発した時からずっと声とは付き合っています。これ以上当たり前のものもないかもしれません。
ところがどっこい、逆にこう言って見たらどうでしょうか。
「だからこそ声の事は知らないで通り過ぎているのですよ」
みんな、自分がどのように声を出しているか知らないのです。声はまさに盲点なのです。
声の事を知ると自分が変わります。こう言って私は声のワークショップを紹介しています。
私の声のワークショップをやっても声はよくならないです。それは私に原因があるのではなく、声と言うのは十年仕事だからです。桃栗三年柿八年、声は十年です。
声はすぐにはよくならないですが、声を出している自分への気付きがはっきりと現れます。
勿論、それだからといってすぐに立派な人間なるとは考えないでください。
特に即効効果のあるものと言うのは、同じくらい早く効かなくなるという欠点を持っていることも是非知ってほしいと思います。
と言うことでじっくり腰を据えてやって行きましょう。
あるところで声のワークショップをやっている時のことです。声を出すポイントの話しをしていたら、急に年配の男性が、
「仲さん、その話しをマラソンをやる人に話してあげてください」
と言うのです。
何のことかよく解らないので聞きなおすと
「マラソンをしている時と言うのは、走ってなんかいないのです。走っていると言う感覚で走り始めたら、もう疲れているということで完走はできないです」
と言う答が返って来ました。そしていろいろとお話ししていくうちに、
「マラソンはみんな飛んでいるのです」
と言うことで話しが終わりました。
その時ふと脳裏をよぎったのは千日回峰行という修行をされている方の走りっぷりでした。険しい山の中、岩場を飛んでいらっしゃいます。歩いている、山を走っていると言う以上に、飛んでいるのです。You tubeで検索できますから、是非見てください。
声と言うのも自分で出していると言うレベルの声でしたら、聞いている他の人が疲れてしまいます。そんな声は、正直に言うと、誰も聞きたくないのです。
理由の一つは、自分で出している声には、自分というものが入り過ぎているからです。自分を他人に押し付ける様な事をしているのですから、聞いている他の人は聞きたくなるのは当たり前です。
普通は声を出す、といいますが、これは声に関して言えば間違いだということなのです。
つまりみなさん間違った声を出しているということです。そしてその声は他の人には喜んで聞いてもらえない声だと言うことです。
ここまで読まれて、では声はどうしたらいいのかと疑問に感じている方が多いと思います。
声はマラソン選手が「走る」のではなく「飛ぶ」のだというのと同じだということの様です。声は出すのではなく、響かせるものなのです。