ユーモアが欠けると真面目になる理由
ユーモアと真面目とは水と油です。
一見反発しあっている間柄のように見られがちですが、本当はもう少し深い因果関係を持っているのです。
真面目な人がユーモアを欠いていることは世の常識です。これについては今更説明の余地などないのですが、一つだけ押さえておきたいことがあるので書いてみます。人間からユーモアを引いたら真面目が残るのです。単純な引き算です。真面目と言うだけでは人間不完全だと言うことです。ユーモアが備わって初めて人間は完全なのです。
悲劇は地球からユーモアが消えたところから始まったのです。地球はその時から真面目が支配するようになります。真面目一辺倒になってしまったのです。ユーモアが消えたと言うのはこういうことです。かつて地球にはエーテルという力がが満ち満ちていてそこからたっぷりと栄養をもらっていたのです。1850頃からエーテルの力は地球から離れ始め、宇宙に帰ってしまったのです。なぜエーテルの力が消えたのかはわかっていません。
エーテルの力に満たされていた時、地球はユーモアの溢れた星でした。ユーモアと言うのは水のことですから、遠回しに言うとエーテルの力のおこぼれのことなのです。エーテルの力がなければユーモアは枯渇してしまうのです。ですからすでに百七十年も前からエーテルの力がなくなってしまった地球には悲劇が訪れたのです。ユーモアはその時以来壊滅状態なのです。
ユーモアがあった時、言葉にも輝きがありました。言葉遣いが上品でした。エーテルの力がなくなってから言葉は以前と比べものにならないレベルのものに成り下がってしまいました。言葉ではなく単なる記号で、昔だと用を達すのに使っていたような単純で乱暴な言葉になってしまったのです。こんな言葉で会話していたらすぐに喧嘩になってしまいます。ユーモアの時代はのんびりとした上品な言い回しを楽しんでいたようです。
エーテルの力は再び帰ってくるのでしょうか。
それはないでしょう。
帰ってくることを期待するより自力で作ればいいのです。その方が現実的です。私たちの意識を肉体から解放すればいいのです。でも幽体離脱のようなものではなく、意識の中でエーテルの力が湧いてくるのをイメージするのです。そしてエーテルの力が湧いてくるまで、ただただ待てばいいのです。
エーテルの力とは海の水のようなものです。
この待つ力の中でユーモアが湧いてくるかもしれません。真面目な人はどのくらい待てばいいのかなんていいそうです。待つのが下手なんです。