ピアノは俗物の楽器
シュタイナーはピアノを俗物の楽器と言っているんです。結構激しい言い方ですからピアノが嫌いだったのかと思わせるようないいぷっりですが、そういうこととも違う様なのです。好きだったのかというと、自信はありませんが、特別好きというほどでもなかったのでしょうが、まあ好きだった様に思います。しかし激しい言い方です。ピアノを弾かれる方をがっかりさせるに十分な迫力です。
ピアノといっていますが、楽器としてのピアノではなく、私は鍵盤楽器全般のことだと解釈しています。したがってパイプオルガンもチェンバロもハンマーフリューゲルも俗物扱いです。バイブオルガンなどは教会に欠かせない楽器なのにシュタイナーからは容赦なく俗物です。
この楽器は霊界に原型がないのです。ということは一から十まで地上的な要求を満たすためにある楽器と解釈出来ます。ピアノは普通に言われるところに従えば楽器の王様ですから、音楽をする楽器の中で一番優れていると考えられているのでしょう。確かに交響曲などもピアノに編曲されて演奏できちゃう訳ですから、有能な楽器であることは間違いないのでしょうが、シュタイナーはそこが気に入らなかったのではないかと推測します。何でもできる、万能の楽器なんかは必要ないと思っていたのでしょう。
楽器というのはどれもそれぞれに難しいものです。ピアノという楽器はその中でも難易度の高い楽器です。私がお世話になったクニーリム博士は、「ピアノを上手に弾く人は沢山いるけど、ピアノで音楽が作れる人は指で数えられるほどしかいない」というのが口癖でした。もちろんクニーリム博士もピアノが大好きでした。
ピアノに難癖をつける人に限ってピアノが大好きというところが面白いです。
私もピアノ弾き込める人は数えるほどだと思っています。ヴァイオリン属の楽器の難しさとは違う難しさです。ピアノのテクニックに溺れて弾かされているだけでは、ピアノを弾いているということにはならないのです。ピアノの音を音楽の音にまで持って行ける人が少ないのです。ピアノの音のように死んだ音を生き物に復活させるところが選ばれた人にしかできないのピアノなのです。そういう人に弾かれたピアノはイキイキしていて音が全然違います。音が深いですし、透明です。
音楽が一番苦手としているのは、上手に弾くというところです。特にピアノの場合は顕著です。これほど嫌味なものはないと思っています。個性的であろうとすればするほど音楽から遠ざがってしまいます。ピアノが悪臭を放ちます。
ピアノの持つ俗性は演奏者の人格で掬い上げなければならないのです。