アンサンブルの味
先日お亡くなりになった小澤征爾さんが中国の上海に招待されて、上海のオーケストラを指揮された時のことを、国文学者のお兄さんとの対談の中で話していたのですが、オーケストラの指揮台に立ってびっくりしたのは、全然音がまとまらないということだったそうです。あちこちからバラバラに音が聞こえてくるのだそうです。
中国は当時も一人っ子政策が敷かれておりました。みんなが一人っ子という社会状況を考えただけでもゾッとします。しかも音楽教育というのは大概、中国に限らずスパルタで英才教育です。一人一人を見れば技術的に訓練されているのに、いざオーケストラとして一つの作品を演奏する段になると、一人一人がバラバラでオーケストラとしてのまとまりが感じられなかったのだそうです。それはなんと言ったらいいのか言葉に詰まってしまうほど奇妙な音楽体験だったということです。
このことは中国人のオーケストラに限ったことではないと、私の音楽経験は言います。例えばピアノ三重奏などを聞いていると、よく経験するのは、ピアノとヴァイオリンとチェロの三人でグループを組んで活動している人たちの演奏と、有名なピアニストとヴァイオリニストとチェリストに声がけして著名な音楽祭などのために臨時のグループを結成したものとの演奏の違いです。
三人のソリストによって作られた即席グループの演奏は、一人一人が実力者の集まりですから、上手ですし、それなりに聞き応えがあるのですが、バラバラな印象を持つこともあります。時々あるというよりも大抵アンバランスなのです。もちろんアンサンブルに慣れた人かそうでないかの違いは大きいですが。
ピアニストの多くは普段ソリストとして一人で演奏することに慣れています。したがって他の演奏家と合わせるタイミングが見つけられないようで、歌やヴァイオリンなどの伴奏の時には相手の音楽が聞こえてこないのではないかと思うようなものがあります。共同作業が成立しないのです。
私がかつて歌を歌っていた時のことです。色々な伴奏者とご一緒しましたが、伴奏という仕事が特別なものだとつくづく感じたものです。幸い私の場合は経験豊かな方達が伴奏をしてくださいましたから、困ったことはなかったのですが、同じ曲でもタイミングや音の感じ方などに違いがあるのが面白く、それを楽しんでいました。
リズム感というのは、なかなか変えられられないもののようで、人それぞれに随分違います。他の人と合わせる時にはテンポと同様に意外と曲者です。これは音楽に限ったことではなく、同じプロジェクトで何人かと組んで仕事をしてみるとよくわかります。
特にテンポは悩みの種です。必ず他の人とテンポが合わせられない人というのがいるんです。自分のテンポを主張したら絶対にうまくゆきません。相手に合わせるという姿勢が要求されます。音楽のアンサンブルの時には、ただ合わせるだけでもダメで相手と一つになろうとする働きかけがないとまとまらないのです。
人生は音楽によく似ています。音楽の基本は聞くことだとつくづく思う時です。人生もです。いくら言葉で説明しても合わないものは合わないのです。頭で、理屈でわかるなんて大したことではないのです。生理的に合わないのです。
きっとこんなことがアンサンブルを組む時にはいつも起きていて、いつも同じ人とグループを組んで演奏活動をしている場合は、息も合ってきて、阿吽の呼吸の領域で演奏できるのでしょうが、臨時のグループにそれは要求できないことです。きっとそこはそれぞれの知名度でカバーしているようです。
小澤征爾さんが指揮台に立って指揮棒を振った時の上海のオーケストラの音を聞いてみたかったです。音楽であって音楽でないと言ったものだったのではないかと想像します。しかしこれは一人っ子政策によるものなのか、歴史的にみて感じる中国独特のものなのかはわかりません。いつか放送された上海オーケストラの演奏を聴きましたが、味付けができていない料理のような印象を持ちました。音楽というものは相手を聞くことがないと、味が生まれないということのようです。
日本では利き酒という仕事がありますが、これも「きく」ことなので、音楽で聴くことがうまくできていないと、そこからいい味か生まれないというのは、この辺と関係しているのかもしれません。
いいアンサンブルの演奏は確かに美味しいです。