孤高のバッハ

2024年5月16日

バッハの音楽を弾いている時に「危ない」と思うことがあります。恍惚となってしまうことです。これは演奏している時だけでなく、彼の音楽を聞いているときにも起ります。若い頃に初めて教会でバッハのロ短調のミサを聴いたとき、合唱で歌っている人たちのあまりの恍惚と陶酔した表情が怖くなったのです。それ以来バッハの音楽に近寄らないようにしていました。

文系の人が感動したりしてうっとりと恍惚状態になるのとは違って、どちらかといえば理系の恍惚です。数学はあまりに純粋すぎて、時々嵌ってしまうもので、嵌ったら最後そこから抜け出せないということが起こるのです。バッハの音楽にはそういった吸引力があります。理系の吸引力です。しかもとても強い吸引力で、ぐいぐいと引っ張られてしまいます。

チェロとバイオリンのための無伴奏の作品はバッハの最晩年のものですから、バッハの到達点だといってもいいものです。最後は一人で弾くための音楽を書いたのです。

ピアノという楽器はそもそも一人で弾くことが多い楽器です。バッハはそのためにも前奏曲とフーガからなる二十四曲を作っています。同じ頃にゴールドベルク変奏曲が書かれています。そして最後はフーガの技法で締めくくります。

 

今はハンブルクの北ドイツラジオシンフォニーオーケストラを指揮しているエッシェンバッハは若い頃はピアニストとして活躍した人です。日本に何度もピアニストとして来日しています。彼は複雑な生い立ちの持ち主でした。そのことと関係しているのだと思うのですが、ある時「ピアノを弾く孤独に耐えられない」とピアノを捨て、指揮を学び、指揮者として活躍するのです。

ピアノというのは孤独のなかでいることが苦にならない人の楽器なのだと彼の言葉から教わりました。優れたピアニストがアンサンブルでは一人で突っ走ってしまたり、制裁を欠いてしまうことがあるのは、彼らが一人で音楽することに慣れてしまっていて、他の演奏者への気配りができないからなのです。バランスの取り方がわからないのかもしれません。

もちろんどちらもこなしている演奏家もたくさんいます。私の尊敬するチェリスト、エマヌエル・フォイアマンは独奏よりもアンサンブルで光っていました。こんなにアンサンブルのうまいチェロの演奏家を知りません。シューベルトの三重奏のリハーサルで、初めにピアノとヴァイオリンが練習していた時に、二人の間がギクシャクしてうまくゆかずにいたのだそうです。そこにフォイアマンが入ってくるとなんの問題もなかったかのように音楽が流れるのだそうです。彼は素晴らしいユーモアの持ち主だったということですから、人の輪を調和する能力があったのでしょう。彼のアンサンブルにはそれが遺憾無く発揮されていて、最高の演奏になっています。アンサンブルこそが音楽の醍醐味だと知っていたのでしょう。ちなみに彼はバッハの作品を例外的にしか弾いていません。わかるような気がします。

実は私もライアーを一人で弾くことが多いです。いやほとんどかもしれません。しかし今までに何度か歌の伴奏をしたことがあります。シューベルトのリタナイ、バッハ・グノーのアヴェマリア、スペインのクラナドスの歌曲、日本の宵待ち草、カッチーニのアヴェマリア、フルート一と緒にグルックの精霊の踊りなどですが、とても楽しいアンサンブルでした。しかしライアーのアンサンブルは本腰を入れてしたことがありません。他の人が上手すぎるのと、音の違いが気になるからです。

でもこれからはそんな機会もあるかもしれません。

 

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