日本が大人気

2024年5月24日

ドイツでのことです。買い物などでレジの人が突然日本人ですかと話しかけてくる事があります。ここ数年よく見かけるようになったことなのですが、最近は特に増えているような気がします。その人たちはいろいろなことを通して日本のことに興味を持ち調べているようで、私が中国人でも韓国人でもなく日本人だということは、秘密裏に鍛えた嗅覚でわかるのだそうです。

そして必ず言うのが「絶対に日本に行ってみたい」ということです。何がいいのかと聞くと「全て」という答えが返ってきます。食べ物、神秘的なほどに正確に機能する鉄道、風景、人の優しさと礼儀と数え上げられないほどの事例が飛び出してきます。

聞いていて悪い気はしないのですが、なんとなくミーハー的な気がしないでもないので、案外素気なく「そうですか」と言ってしまいます。

 

一方で、YouTubeを見ていて、よく日本が自我自賛をしているような動画に出会うことがあって、その度に背筋をゾッとさせています。自画自賛は精神的に不健全です。誰が作っているのかは知る由もないのですが、私ば文化を支えているものは奥深いものだと思うので、一つの現象を取り出して自画自賛するのはどうもと思ってしまうのです。

こんなことを考えているのです。

一度自分の育った文化を徹底的に否定してみてください。そうして初めて見えてくるものがあります。再評価といったプロセスがどうしてもあってほしいのです。ただベタ褒めしているだけでは、自分のことも他人のこともです。程度が低すぎると思ってしまうのす。鬼の首を取ったような調子で語る人たちには傾ける耳を持たないのです。思想集団の中によく見られる、自己批判のない傲慢な輩と同じに見えてしまうのです。

 

ドイツでも日独友好の会などがよく催されているのですが、私はほとんど顔を出しません。日本のことを気に入ってくれるドイツ人がいることは「いいことだ」とは思うのですが、どことなく気恥ずかしくもあるからです。

もちろん頭で考えるよりもまずは好きになることが、あることを理解する一番の近道だと思うのですが、もう少し距離を置いてみていただきたいと思ってしまうのです。

私の中には一度自分の文化、日本の文化を否定した過程があるので、そこをやたらと褒められても、ただくすぐったいだけなのです。そんな時はいつも心の中で、あなたはご自分の文化を否定したことがありますかと言っているのです。ドイツ人には「バッハなんか糞食らえだ。あんなインチキな音楽なんか聞けたもんじゃない」と心から憎んだことがありますか、ということを言いたくなります。そうしないと自分の文化以外の文化の本当にいいところが見えてこないからです。ドイツ的にみて日本がいいところというのでは驕りにすぎなくて、十分ではないのです。

異なった文化に近づくために必要なことがいくつかあると考えています。まずは好きだということです。これは大前提のような気がします。恋愛感情でも好きが全てに先行します。損得感情で恋愛は長続きしないものです。そしてその文化と関わりを保つためには、リスペクトが必要です。その文化に心からの敬意を持って向かい合えるということです。尊敬の念は他の全ての関係と全く別の次元のものです。特に利害関係というのはとても表面的なものですから、それだけでは表面的で長続きしないものなのです。そして自分の文化に一度否定的な距離を持ったことがあるかどうかです。他の文化の中で自分が蘇ったかどうかです。

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