自動車も電化商品
このところずっと2月の講演の講演録を作るのに時間が取られていました。
録音が悪く聞き取れないという苦情が多く、文章化するというふうにしたのですが、原稿起こしと録音を聞いても原稿にならないくらい音質が悪く、しかも聞こえないところがある穴だらけの録音で、結局メモを手がかりに新しく書き下ろすという形になりました。
自分の下メモがあったのと、その日会場で聞いた方のしっかりしたメモを手がかりに文章にすることができました。
ということで久しぶりのブログです。
今日は自動車が電化してしまったということを書いてみようと思います。私にはプラモデルが道路を走っている感じです。車のことがわからなくても車が作れてしまう時代が来ました。
何でも電化してしまう時代です。そんな中でとうとう自動車まで、電化商品になってしまいました。便利さを追求したり、環境に配慮されたりと、大袈裟な宣伝がなされていましたが、あの手ののプロパガンダは信じるに足りないものです。素人がこねくり回しているだけで車ができちゃったんで、何だか車の格が下がった感じです。絵画の印刷されたもののような感じです。何枚も印刷できてしまうのです。
電化してゆくと、人間が怠惰になってゆくような気がしてならないのです。冷蔵庫、洗濯機、掃除機そして時計、まだあります、家は電化されて、暖房、クーラー、台所もみんな電気です。電化する前とそれ以前では随分生活感が違っていました。電気漬けになると、文明の先端にいるような感覚になるようです。
冷蔵庫が電化と言ってわかる人の方が少なくなってしまったようですが、昔は氷を入れて冷やしたものです。毎朝氷屋さんが来て一貫とか半貫とか買って(一貫は3.75kg)冷蔵庫に入れて冷やしたのです。朝来る氷屋さんがノコギリで大きな氷の塊を切り出す時に出てくる、木でいうところのノコギリの粉のような氷屑が美味しくてよく食べたものです。電気になってからは塊の氷とは、かき氷の時以外には縁がなくなってしまいました。食べてもとても美味しい氷でした。今でオンザロックにはよく使われているということです。
掃除機の電化は、我が家では随分後になってからでした。でも掃除機の後ろから出てくる暖かい風が嫌いで、逃げていました。本当に綺麗になっているの、舞い上がった埃はまた落ちてきているのかなどと考えていました。今では掃除機でないと綺麗にならないと思っている人がほとんどです。今は充電式ですから、昔の箒のように使える掃除機まで出回っています。
洗濯機が一番生活を変えたかもしれません。洗濯機以前は手で、洗濯板の上をゴシゴシと擦っていたのが、放り込めば綺麗になるのですから、この上なく便利で、主婦を一番助けた立役者です。その後乾燥機も出てますます便利になって行きました。
時計がクオーツで電池で動くようにしたのは日本のセイコーです。リューズ式、自動巻き以上に正確な時計ということで画期的な発明と言われました。起きっぱなしでも一年とか二年は電池がある限り勝手に動いていますから、ほったらかしておいていい時計ということになります。
暖房も冷房も電気がやってくれます。こたつも電気炬燵です。台所が釜戸から電気へと移行して、これでほとんどが電化されたことになるのでしょうか。お湯も電気で温められますし、お風呂も電気です。
そしてついに自動車が電化製品になったので、人間の生活は電気漬けになったと言えるかもしれません。電車はいち早く電化されていました。
どんどん電気を作らなければならなくなっています。化石燃料はダメですから、石炭、石油は燃やせないので、風力発電か、ソーラー電気です。絶対量が足りなくなることは目に見えています。すべての自動車が電化されてしまって困るのは電気の量です。石炭も石油も使えずに余ってしまうのですが、使い道は閉ざされています。原子力は最大の敵ですからご法度です。どこにも出口のない問題を抱え込んだことになっているようです。まるで空想小説のような、あり得ない世界が近々登場するのでしょうか。でも誰がこんな嘘みたいな話を本気で進めているのでしょうか。