体験が意識的な財産になるには
もう二十年前のことですが、ハワイにゆきました。
初めてのハワイでしたから旅慣れているとはいえドキドキでした。飛行機は七時間くらいのフライトでした。窓から見える景色は海だけでしたから、全く変化がないままの退屈な時間でした。
当時のことを思い出すと色々なことがあるのですが、あの時は漠然としていた体験が時間をおくと鮮明とまではいかないのですが、想像しなかったような鮮明さで思い出されます。個々の景色とかはその時にもインパクトがあって、ハワイにいると感じるに十分なものでしたが、ハワイという空間に包まれているということは当時は漠然としか感じられないものでした。当たり前すぎたのでしょうか。
例えばハワイというのは太平洋の真ん中で、お隣さんはとんでもない距離にある孤独な所と言っていいような孤立した場所です。大袈裟ですが日本がお隣さんです。今そこにポツンと自分がいるというのは、地図で見たり、理屈では分かっていても実際の体験としてはつかみどころのないものですから印象に残っていないのです。ダイヤモンドヘッドとか、神の浜辺と言われる透明感のある砂浜などは景色としてはっきり印象に残っているのですが、ハワイという全体のイメージは当時は持ち得ませんでした。一つ一つの印象が強烈すぎたのかもしれません。
長い時間が経って、ふと最近になってハワイのことが思い出されるのですが、そうなると逆で、個々の景色の美しさなどよりも、ハワイに居たのだ、太平洋の真ん中にぽつんと居たのだ、あの真っ青な太平洋の海のまん真ん中に居たのだと、不思議な感じがしてくるのです。ハワイに包まれるのです。しかもその独特な孤立感、包まれた暖かさが懐かしいのです。ハワイと一つになっているという感じがするのです。当時はほとんど感じていなかったのに、懐かしいとはおかしいですが、きっと無意識の中で何かを感じていたのかもしれません。
人間には時間がある。こんな単純なことが、ハワイのことを思い出し、懐かしがっているときに感じるのです。時間の中でしかわからないものがあるのだということです。
まだ昔のことを思い足して懐かしがるには若すぎますが、時間を経て熟している何がしかが私の中にも蠢いているのを感じることはあります。ただまだこれから何が起こるか楽しみだという方が過去を懐かしがるより強いようです。